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2006年1月15日 (日)

マイケル・ホワイト『ナルニア国の父 C.S.ルイス』

 紀元1100年以後に書かれたものは総じて一読の価値もない、とJ.R.R.トールキン(1892~1873)は言っているそうですが、C.S.ルイス(1898~1963)も現代文学のほとんどを理解できませんでした。『ベーオウルフ』をすらすら読める彼がヘミングウエイやフィッツジェラルドを一ページ読むのに苦労しているのです。トールキンとルイスは現代社会そのものにも無関心で、新聞も読まず、現代詩やハリウッド映画を嫌い、政治と政治家を軽蔑していました。オックスフォード大学の同僚であった彼らは、また、学問だけで想像力も知的なひらめきもない他の教授たちを半ば軽んじていました。よく似た同士の二人は知り合うとすぐ親友になりました。知的水準も同程度で(ルイスの方がやや興味の範囲が広い)、彼ら自身の学問よりも彼らの作り出したファンタジーで名声を得たという点も同じでした。『指輪物語』を出版するよう励ましたのはルイスで、『ライオンと魔女』の原稿を最初に読んだのはトールキンです。
 しかし、二人の本質的な類似点は、ともに少年時代の始まりに母親を亡くしているということでした。この喪失感はあまりに大きく、二人とも完璧に自分だけの王国を想像の上で創り出すことでかろうじて現実の寂寥感に耐えられたのです。この友情は20年続いた後、冷たく、疎遠になっていきました。トールキンは嫉妬深く、二人の友情に他の人間が介入するのを嫌ったようです(ルイスには友人がたくさんいましたが、トールキンは学内で友人がいませんでした)。また、ルイスの著作の世界的成功が彼の心をぎりぎり苦しめたのです。トールキンは『ナルニア国物語』の構成の杜撰さ、筋の矛盾を指摘しました。実際、ルイスは早書きで、書き直しをほとんどしないのですが、トールキンは細部まで慎重にじっくり書き込んでいく性格だったのです。トールキンがカトリックで、ルイスがプロテスタントであったこともこの偉大な二人の物語作家を離反させる一因だったのかも知れません。
 マイケル・ホワイト『ナルニア国の父 C.S.ルイス』(2005岩波書店・中村妙子訳)によれば、ルイスの女性関係は、彼の護教家としての名声が災いしてか、未だ完全には知られていないそうです。第一次大戦に出征した19歳の時、友人のパディと、どちらかが死んだら残された親の面倒を生き残った者がみよう、と約束しました。ルイスが負傷しながらも生還して、残されたパディの母親と妹の面倒をみることにしたのです。母親のジェイニーとは26歳離れていましたが、何とそれからジェイニーが78歳で死ぬまでの33年間二人は同居していたのです。ルイスは老年になった彼女の身の回りの世話を献身的に成し遂げました。二人の間がどのような関係であったかは明らかではありません(ホワイトは、性的関係は当然あった、と書いています)。
 ルイスの晩年に映画になるほどのロマンスがありました。58歳の彼は、アメリカから会いにやって来た熱烈なファンのジョイという41歳の女性と結婚したのです。しかし、幸福な結婚生活は、ジョイの癌による死により三年で終わりました。ルイスはもはやこの痛手から立ち直れず、一気に体調を崩し入院しました。死の三ヶ月前、ケンブリッジに教授辞任の手紙を送ると、これまで願ってもできなかったこと、ベッドの中で好きなだけ本を読むという贅沢をたっぷり味わいました。それは子供時代の、母親がベッドでやさしく彼の頬をなでてくれた記憶を呼び覚ましました。1963年、64歳でルイスは、あのナルニア国に行く四人の少年少女たちが通っていった衣装箪笥の向こうの秘密の世界に旅立って行ったのです。

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