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2005年11月 7日 (月)

ディルタイ『体験と創作』

 ディルタイ(1833~1911)の『体験と創作』(1961岩波文庫・小牧健夫、柴田治三郎訳)は1865年から 77年にかけて書かれた、レッシング、ゲーテ、ノヴァーリス、ヘルダーリンについての文学評伝です。その中でノヴァーリスについて紹介しましょう。
 フリードリッヒ・フォン・ハルデンベルク(1772~1801)筆名ノヴァーリスは、貴族である鉱山監督官の父のもとにヴァイセンヘルツで成長しました。18歳でイエーナ大学入学、その頃の彼を知人は「(服装は)いかにも質素で、貴族の生まれを思わせるものはなく、丈が高くほっそりして、顔は浅黒い褐色、まじめで温和で親しみやすい。知らない人の前では何時間も静かに瞑想にふけりながら座っていることができた」そうです。22歳の時、行政官見習いとしてテンシュテットに赴任、その上官はノヴァーリスの優れた実務の才能、一つの仕事を何度もやり直す根気強さについて語っています。この時、隣の領地グリューニンゲンで当時12歳のゾフィー・フォン・キューンと運命的な出会いをします。「その最初の一瞥は彼の全生涯を決定した」のです。ノヴァーリスはゾフィーについて、「早熟、煙草を吸う、怒りっぽく感じやすい、驚くべき猫かぶりの天才」等々と愛らしいわがまま娘の肖像を書いています。朝もやの中、夕焼けの下、馬に乗ってグリューニンゲンにゾフィーに会いに通う日々、この頃が彼の最も幸せな時期でした。翌年、二人は婚約、ところがゾフィーが肝臓潰瘍のため二度の苦しい手術を受けた後に死亡してしまいます。その瞬間、彼の幸福な時間は停止し、彼は彼女の死んだ日から日付を数え始めます。「自分は一年以内に、自分自身の決意に従い、ゾフィーと一緒になろうとする憧憬の力だけで死ぬだろう」と彼は書きました。ここに彼の天才がある、とディルタイは書いています。彼はティークや、A.W.シュレーゲルなどと違い、人生を詩のための材料としてでなく、真実の感情のために、それに自然な仕方で身を委ねる自由人として生きたのです。
 ここに現実が、感情の隙間をぬって踏み込んできます。死のうとする意志が薄れ、生への、学問・芸術への欲求が湧いてきます。「あの人は目に見えて変わった。顔が長くなって、コリントの花嫁のように現世の臥床からひょろひょろと立ち上がってきたようだ」とシュレーゲルは書いています。1798年、彼は鉱山監督官の娘、ユリー・フォン・シャルパンティエと婚約、これによってゾフィーは彼の心の中で永遠の子どもらしさから脱し、完成した女へ、宗教的世界へ、天上の女性へ昇華していく筈でした。しかし、そうはならなかったのです。未完になった『青い花』の続編の構想の中で、主人公ハインリヒは少女に導かれて死者の住む修道院へ導かれます。ノヴァーリスは、かつてゾフィーが輪廻を信じていたこと、それについて彼も深く考えたことを思い出して、自分の運命の記念碑たるこの作品の思想的背景にしようとしたのです。若くして死んだ婚約者のマティルデはハインリヒをその情熱的憧憬のあらゆる力をもって死者の国に引きずりおろします、、、ノヴァーリスはユリーとの結婚の直前、1801年に大喀血し、静かに眠るように29歳の生涯を閉じました。彼は友人に次のように書いています。「あのひと(ゾフィー)は私をたえずとりまいています。あのひとは私の生活の始めでありましたー私の生活の終りにもなるでしょう」

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コメント

なんとなく古本屋で買ったバッケンローダー、誰か全然知らないので検索で着ました。これから読みます。
英仏は読んできましたが、独露文学はなんとなく読んでなかったので、色々解説してあって嬉しかったです。

投稿: 蘭世 | 2008年8月24日 (日) 22時07分

蘭世さん、コメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
それでは。

投稿: saiki | 2008年8月25日 (月) 20時39分

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