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2005年11月 4日 (金)

丁玲『霞村にいた時』

 1930年代後半、中国共産党は農村に拠点を置いて日本軍と戦っていました。共産党員である作家の「私」は休養と執筆のため二週間の予定で霞村に滞在することになります。霞村は中国の普通の村で、山裾に並んだ洞穴の一つに「私」は荷物と毛布をひろげました。同じ頃、貞貞(チェンチェン)という十八歳のきれいな娘が一年以上離れていた霞村に帰って来ていました。「私」は村人から、貞貞が、日本軍侵攻の時に村から拉致され、さんざん汚された挙句病気をうつされ、ぼろぼろの体になり放免されて帰ってきたと聞かされます。村人は不潔なものを見るように貞貞を見、自分たちとは違う人種のように貞貞を扱います。男たちは陰で噂し、女たちは彼女を軽蔑していました。「私」はふとしたことから貞貞と言葉を交わすようになりますが、意外にも貞貞は明るく、自分の運命を甘受し、誰をも恨んでいないように見えました。その平然とした態度に「私」はかえって貞貞の悲しみの深さを推し量りますが、彼女が何か言い出せないものを内に隠していることも感じられてきます。
 ある日、「私」は貞貞の実家の辺りで騒ぎが起こっているのに気づきます。人だかりを押し分けて入ってみると、貞貞が髪を振り乱し、目をぎらつかせ、大声でわめきながら手当り次第に物を放り投げています。女どもが必死に彼女を抑え、土間の上では両親が泣き崩れ「この一年というもの、お前のおかげで、おらたちがどんな目にあったかわかんねえのかえ」と叫んでいます。貞貞は囚われた野獣のように残忍な顔をして、歯をくいしばって、あくまでみんなと対峙するという気勢を見せていました。「私」は貞貞の気を静めて、ひとまず自分の洞穴に連れていこうとしますが、貞貞はそれを振り切って後ろの山の中に駆け上がっていきました。その後、「私」が政治部へ引き返す準備をしていると、貞貞がそっと洞穴の中に入ってきました。貞貞は先日とはうってかわって平静な様子をしています。「私もあした出かけます」と彼女は言いました。「これからは知らない人の中で、夢中で暮らしたほうがいいんです、、。会が私を××へやって私を治療してくれるそうです。あそこは大きな町で、学校もたくさんあって誰でも入れるそうです。みんなでひとところでいがみあったっていいことなんか何もないんです。、、人間というものは、何も両親のものでも自分だけのものでもないんでしょう。みんなは私が若くて根性がねじ曲がっていると言うけれど、わかってもらえなくてもいいんです」
 丁玲(1907~1986) は1931年に共産党に入党しましたが、1957年毛沢東一派に『霞村にいた時』のような「小ブルジョア知識人」の作風を批判され、79年に復権するまで長く隠棲を強いられてきました。しかし、『霞村にいた時』(1956 岩波文庫・岡崎俊夫訳)は彼女の清心な心持ちが沁みでた佳作です。作者は貞貞という少女に出会い、驚きと同時に感動を受け、それを冷静に素朴に読者に伝えようとしています。結論を急がないのは、人生は謎に満ちているからで、文学がそこに立ち入るとき、いかなるイデオロギーもその援助にはなりえないからに他なりません。

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