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2005年11月10日 (木)

モルナール『リリオム』

 18歳の女中のユリは遊園地でリリオムという男に出会い、一緒に暮らし始めます。リリオムはならず者で、遊び好きで、手に職もなく、結婚しても働かず、すぐ妻を殴るどうしようもない男で、親類からも、近所の人間からも鼻つまみ者になっています。しかも、ユリの妊娠を知ったリリオムは、大金を手にしてユリとアメリカに渡ろうと、ヘマな犯罪に加担し、自殺に追い込まれてしまいます。瀕死のリリオムの体が警官の手でユリの部屋に運ばれてきます。ここで文学の世界が織りなす最も美しい場面のひとつが始まるのです。ユリは担架の端に腰掛けます。リリオムが手を伸ばすと、ユリがその手をそっと握ります。「さてと、俺あな、お前、こいつだけは今言っとかなきゃあならねえ」とリリオムは苦しい息の下で話します。「うん、俺あお前を打ったな、、、けど、ありゃあ腹が立ったからじゃあねえんだぜ、、、そうじゃあねえんだ。俺あ、人の泣くのが見てられねえからなんだ、、、俺あ、お前を殴った、、、だが、お前、わかってくれるな、俺が間違ってたわけじゃあねえってことを、、」「ええ」「さあ、それじゃあ、俺の手を握ってくれ」「さっきからずっと握ってるわ」「じゃあ、、、いよいよリリオムはお前に言うぜ、さよならって。お前も言ってくれろよ」「さよなら」とユリが言うと、リリオムは息を引き取ります。ほどなく、友人や近所の人が部屋に入ってきてユリを慰めますが、同時に、リリオムのような男は死んだ方がよかったのだ、これであなたも女を殴るような男と別れられてよかった、と皆が言い出します。「そうね」とユリも同意しますが、早速持ち出された再婚の話はきっぱり断ります。やがて、友人たちが帰って行き、一人になったユリはリリオムの遺体にそっと話しかけます。「さあ、もうお休みなさい、リリオム、ほかの人たちには何もわかっちゃいないのよ。あんたにさえ一度も言ったことなかったけど、、、今だから言うわ、、本当のことを言うわ、、仕様のない、悪い、いけない人、、、可愛い、大事な人、、さあ、もうお休みなさいね、リリオム」
 この物語で、ユリもリリオムも一度も相手に正面きって告白することができません。愛していると言うことは二人にとってとても恥ずかしいことなのです。高貴な心はそこでこそ輝くのです。そして、物語はここで終わらず、あの世に逝ったリリオムは、そこで天国の書記官に16年の浄めの刑の後、再び地上に戻って、妻と娘に償いをするよう命じられます。ところが、不器用なリリオムはここでも気持ちを伝えられず、娘のルイーズの手を打ってしまいます。そして、肩を落として天国に戻っていくリリオム。ルイーズは不思議な顔で打たれた手を見ます。「お母さんにも、こういうことあった?誰かに打たれて、それでも痛くなかったてことが」「ええ、あったわ」とユリは答えます。ハンガリーの生んだ天才、モルナール・フェレンツ(1878~1952 )の戯曲『リリオム』1909年(1951岩波文庫・徳永康元訳)はこうして終わります。

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