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2005年11月16日 (水)

フォークナー『八月の光』

 引き込まれるようにその世界に体ごと浸かっていく、『八月の光』(1962新潮文庫・加島祥造訳)は、そんな魅力に満ちています。その理由は恐らく二つあって、一つは登場人物の面白さ、牧師のハイタワーや狂信家のマッケカンや偏屈で暴発性のハインズ老人などなどは尽きせぬ人間への興味(私は思想には興味はない、人間に興味がある、とフォークナーは書いています)を駆り立ててくれるのです。もう一つは重層的な語り口で、一つの出来事が複数の視点から書かれることは、情報が様々なレベルからもたらされる私たちの現実の受け取り方に一致しています。「(フォークナーは)自分の描く迷宮的世界は等しく迷宮的な技巧を要請していると信じていたように思われる」とボルヘスは書いていますが、この批判はよい意味で当たっています。その効果は読者を飽きさせないことで、それは映画をみるごとく場面がいきなり変わる新鮮さをもたらすのです。
 この小説のあらすじは簡単で、自分に黒人の血が混じっていると信じているクリスマスという男が、ジョアナ・バーデンという女性を殺害し、リンチをうけて死ぬという話です。主人公のジョー・クリスマスはこの小説で、唯一、性格がはっきりしない人間です。彼がなぜジョアナ・バーデンを殺さねばならないのかもわかりません。ただ、彼が孤独な人間であること、人から理解されることを極度に嫌っていることはわかります。ここに
忘れ難い場面、作家がその技巧を超えてラファエロ的な神妙の領域に分け入る場面があります。クリスマスがミス・バーデンを殺害するその朝に、彼は森の中で焚火をしながら大衆雑誌を読み始めます。最初からずっと、絶えず同じ調子でページを繰りながら、時には一つのページに、一行に、一語にとらわれながら、時折目をあげて谷にかかる樹の葉が光を浴びるのを見ながら、最後の一ページまでゆっくりと残りなく読んでいきます。彼はこの間にジョアナ・バーデン殺害を決意するのです。雑誌を読み終わって目を上げ、彼はまぶしい太陽の光を目に受けます。この光こそ、ミシシッピで八月に一、二度訪れるという秋のような強い日差し、ギリシア的な、人間の心の奥底から止めようのない激しさで差してくる「八月の光」なのです。
 ウィリアム・フォークナー(1897~1962 ) はミシシッピ州北部のオールバニーに生まれました。五歳のときから近在のオックスフォードに転居、ここが、数々の作品の舞台となる架空の町ジェファソンのモデルとなりました。郵便局、銀行など職を転々とし、名作『死の床に横たわりて』を書いたときは発電所で一日十時間の肉体労働をこなしていたということです。ずっと後になって、彼は自分が故郷を書き続けていることについて「それは切手のように小さな町だが、一生かけても書き尽くせないものがそこにはある、、、そこで私は神のように自由なのだ」と言っています。地に蠢く人間への限りない興味、その中に全宇宙が凝縮されているという確信、それが不撓の作家フォークナーの要石(keystone) なのです。

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