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2005年11月28日 (月)

A. ウェイリー『李白』

 李白(701~762)が仙道において失敗したことは明らかでしょう。「白髪三千丈 愁いによってかくのごとく長し」錬金術の秘薬にもかかわらず、彼は年よりも早く老け込んだのです。高額の謝礼金を積んで手にした道教の免許状も彼の任官の助けにはなりませんでした。持続的な清貧の生活が仙人の条件なのに彼は酒と女に溺れていました。性格にも大いに問題があります。高慢、冷淡、放恣、無責任、不正直、彼自身も自分には一つしかすぐれた資質がないがそれは義侠心であると言っています。「しかし、そう言っているのは彼だけであり、またその義侠心はほとんど援助を必要としない人々にたいして発揮されたように思われる」とアーサー・ウェイリー(1889~1966)は1950年に刊行した『李白』(1973 岩波新書・小川環樹、栗山稔訳)で皮肉っています。
 李白は大商人の家に生まれ、その出自から科挙の試験を受けられなかったともいわれていますが、彼はその生涯を通じて地位を得るために悪戦苦闘していました。有名な「南陵別児童入京」の中で自分を前漢の朱買臣になぞらえています。朱買臣がいつかきっと実現してみせると常に断言してはばからなかった高言は餓死寸前の妻に嘲笑されていました。朱買臣は最後には宰相となりました。「会稽の愚婦 買臣を軽んず、、、我輩、豈是れ蓬嵩の人ならんや」自分もまた野に埋もれる人間ではないというのです。李白は42歳頃、知人の紹介で宮廷に職を得ました。官職ではなく、詩人として公的に必要な時に文章を書くだけの仕事で、彼には泥酔していてもこなせる仕事だったはずです。しかし、宮仕えは苦労多く、李白は再び放浪の旅に出ました。彼は四度結婚しましたが、家を持ったことはありません。不思議に家柄の良い女ばかりを選び、ろくに仕事もしないのに十分な酒と食事にこと欠いたことはありませんでした。
 この男には際立った特徴があったのです。李白に会った人の多くは、会って即座に自分が異常な天才の前に立っているのだと実感しました。生き生きとしたひとみ、その不思議なひらめきは人々にかつてない強い印象を与えたのです。杜甫がはじめて李白に会ったのは彼が33歳、李白が44歳のときでした。二人はわずか二度しか会いませんでしたが、「杜甫は短い友情の記憶を別れてのち約15年間も大切に心にとどめ、そして李白を夢みて目覚めたとき、沈んでいく月の光の中に、彼がずっと以前に知っていた李白の真の姿をなおありありと見るのだった」とウェイリーは書いています。杜甫は「冬の日に李白を思って」「春の日に李白を思って」「世界の果てにいる李白を思って」「李白を夢見て」など十四篇の詩を李白に捧げています。李白の詩は現実の描写から一気に神秘の領域に分け入ります。
  将登太行雪暗天   将に太行に登らんとすれば 雪 天を暗くす
  閑来垂釣坐渓上   閑来 釣を垂れて 渓上に坐す
  忽復乗舟夢日邊   たちまち復た舟に乗って 日辺を夢む
 太行山に登ろうとすると雪が山を満たした。それで私は静かに釣り糸を垂れ灰色の流れのほとりに座った。突然、私はふたたび舟に乗り、夢に太陽のかかる地平線を見た、、。この舟は神秘主義の舟で、この詩はエミリー・ディキンソン(1830~1886)の詩と符合する、とウェイリーは書いています。
   Past the houses , past the headlands
   Into deep eternity.
   家々をすぎ、岬をすぎて、深い永遠の中へ。

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