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2005年10月26日 (水)

『20世紀イギリス短編選』

 『20世紀イギリス短編選』( 1987 岩波文庫・小野寺健編訳 ) の(上)にはキプリングからH.E. ベイツまで12人の短編が収められています。その中でモームの「ルイーズ」とフォースターの「岩」を紹介しましょう。サマセット・モーム (1874~1965 ) は冷笑的で辛辣な目で人生を見ました。医学を修めた彼は人間を解剖することが得意で、その臓器と同様に「正常さは人生においては極めてまれなことだ」という結論に達しました。科学者にしばしば見られる人間性に対する傲慢さは彼の中にも顔を出しています。わけ知り顔で皮肉屋、人生の機微に通じているが、人々の共感から遠く離れて、陰でこっそり笑っている男、それがモームです。名作『剃刀の刃』のような長編では表立たないが、短編ではその意地の悪さが直截に出てしまいます。この「ルイーズ」も自分をか弱い女性にしつらえて、次々と周囲の人間を自分の犠牲に仕立て上げていく「狡猾な」女性を主人公にしています。誰でも経験する人生のほろ苦さと後悔、それをゆっくり味わえるほどになった時、モームの作品はギネスのビールのように苦く快く胸にしみわたってくるでしょう。
 E.M. フォースター (1879~1970 ) の「岩」は何かを考えさせる作品です。ある男が避暑地の海岸で舟遊びをしている時、船が海上に突き出ている岩にぶつかって転覆し、男はその岩にしがみついたまま助けを待ちます。危ういところで土地の漁師に助けられた男は、その漁師たちにどんなお礼をしようか迷うことになります。金銭で償うのは簡単で、男も漁師たちも経済的に困窮しているわけではありません。しかし、男は一命を救われたということ、ふたたびこの世の光を、風を、鳥を、花を感じられるということの代償をどんなもので支払えるのか深く考えてしまいます。避暑地の村では漁師や村人が、彼がどんな形でお礼ををしてくれるか心待ちにしています。そして、男は答えを出します。「無料(ただ)だよ、助けてくれた報酬は無料だ」「何もお礼をしないということ以外、この世でわたしにできることはない」男は妻にそう言って、必要な金だけ妻に残して全財産を貧しい人々に寄付し、一文なしの身で村に行き、命を救ってくれた人々に施しを求めました。村人は失望し、さんざん彼を非難し、果ては彼をバカだと思うようになります。
 「墓に入る前にも人生の真理を見ぬける人がいる」とフォースターは書いています。「そういう人を羨ましいとは思わない、、、肉体を持っているあいだは、卑俗なまま、そんな真理とは無縁でいたいものだ」と。

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