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2005年10月11日 (火)

ジイド『ソヴェト旅行記』

 ジイドは 1936 年に病重いゴーリキーの見舞いのためソヴィエトを訪れました。早くからソヴィエトに賛意を表明し、ソヴィエトを「ユートピアが現実になりつつある国」と語っていたこの「ヨーロッパの良心」と呼ぶべき作家をソヴィエトは最大限の歓待で遇しました。必要品は煙草一本まで贅沢に支給し、彼の宿泊するホテルのプールには美しい若者を侍らせてさえいたのです。ジイドは一ヶ月の間ソヴィエトを旅行し、帰国後『ソヴィエト旅行記』 (1937 岩波文庫・小松清訳 ) を出版しました。彼はその本の中で、自分のそれまでの見解を180度転換し、ソヴィエトを「人間の精神が圧迫され恐怖に脅えて従属させられている国」と評しました。恐るべき順応主義 (コンフォルミスム) と官僚主義、それをジイドは芸術家の目で感知したのです。モスクワの店先に並べられた悪趣味な織物、それはかつての草摺りの美しいロシア布と比べものになりません。また官僚とその側にいる有力者たちが召使いや労働者に示す冷たい侮蔑と無関心は、そこが階級を撤廃した国であるだけになおさらジイドの胸を打ちました。「こうした精神の貧困を前にして何人が文化を語る《信念》を持ちうるだろうか」と彼は書いています。
 『ソヴィエト旅行記』は刊行されると非常な反響を引き起こしました。当時スペインのファシスト政権への反対国であったソヴィエトに同調する知識人は多く、ジイドには国内外から冷ややかで露骨な批判が浴びせられました。古くからの友人も道でジイドに会うと目をそらしました。ソヴィエトはジイドを罵り、ソヴィエト滞在中にジイドが行った不品行を暴露しました。しかし、『コンゴ紀行』で植民地支配への激しい非難を書いた時と同様『ソヴィエト旅行記』はジイドの知的誠実さの証なのです。「私にとっては、私自身よりもソヴィエトよりも、もっと重大なものがある。それは人類 (ヒュマニティ) であり、その運命であり、その文化である」「私はいつも後に来る人々のために書く」と彼は書きました。これは気障な言葉ではありません。 1936 年という時期に自らの政治的感覚のみを頼りにスターリン批判を行うことがどれほど希有な困難なことであるかを考えてみましょう。その時代の焦眉の問題に誠実に賢明に対処すること、それこそ今も変わらぬ知識人の責務なのです。カミユにとって『アマンタス』は聖書でした。クラウス・マンは『放蕩息子の帰還』を読んで感激してジイドに会いにいきました。ジイドの『日記』はささやかな私自身の励ましの書でもあります、、。

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