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2005年9月 8日 (木)

W.ハース『ベル・エポック』

 ベル・エポックとは根底として社交的なものである、あるいは社交と精神の組合わさったものである、とハースは書いています。ベルグソンの講義を最新流行の服装で聴講する社交界の貴婦人たち、という図はまさにベル・エポックそのものです。フランスの精神生活に広く影響を及ぼしたこの哲学者は貧乏なユダヤ人移民の子であり、フランスアカデミーの会員になるまで出世して、ユダヤの教義に忠誠を尽くしながら死にました。プルーストは死ぬまで描き続けた社交界から彼の鋭く深い人間観察のすべてを引き出してきました。イプセンは自分の机の上に猛毒のサソリを入れたコップを置いていて、そののたうちまわる姿から愛憎に苦しむ人間のドラマへの創作意欲を引き出していました。そのイプセンは一方で、自分の写真をすべて買い占めて、サイン入り写真をねだる上流人士に法外な値段で売りつけていたのです。当時の男性モードの審判者、ダンディを極めた男、後のエドワード七世であるプリンス・オブ・ウェールズはパリ・ピカデリーの娼婦に通じていて、モンマルトルのレビュー小屋の常連でした。彼が愛した踊り子ミスタンゲットは名も無いキャフェを振り出しに徐々に大きなキャフェへと這い上がってついにムーラン・ルージュのスターになり、その時代のシンボルとなったのです。
 「エレガンスはこの時代の女神であり、モードはこの時代の世界史的原理である」たとえばミシア・ナタンソンという女性を見てみましょう。老ルノワールやロートレックに何度も描かれたエレガンスの権化ともいうべきこの女性は億万長者と結婚して、その無尽蔵な資金の一部を当時頭角を表していたロシアの近代バレーの創始者ディアギレフにつぎ込みました。マラルメの崇拝者であったミシアは、バレー「ボリス・ゴドノフ」を見て感激し、ガラガラだった客席をすべて買い占めて友人知人に配りました。彼女はディアギレフの寂しい最期にも付き添っていました。ディアギレフのバレー団の中でひときわ輝いていたのはニジンスキーです。ニジンスキーはロモラという女性と結婚することで、ディアギレフと仲違いしましたが(二人は愛情関係にあった、といわれています)ほどなく重度の精神病にかかり、三十一年の苦しい闘病生活の果てに死にました。
 ベル・エポックは美術史的にはユーゲントシュティールやアールヌーボーと重なります。最も偉大な画家はロートレックとビアズリーでしょう。ウ゛ィリ・ハース『ベル・エポック』(1985岩波書店)は全ヨーロッパに及び、たちまちのうちに潰えていったこの様式(芸術の様式であると同時に生の様式であった)についての他の追随を許さぬ研究であり、回顧録です。カール・クラウスやルードビッヒ・クラーゲスの反ユダヤ主義への痛烈な批判、グンドルフやカントロウ゛ィッチのようなユダヤ人を率いていたゲオルゲへの共感はことのほか印象に残ります。

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