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2005年9月29日 (木)

S.H.ナスル『イスラームの哲学者たち』

 キリスト教が愛の宗教なら、イスラム教は知の宗教である、とナスルは書いています。イスラム国家が地上最強の国家であった時、彼らはインド、ギリシア、エジプト、コンスタンチノープルなどあらゆる地域の学芸について研究し、組織的に文献を翻訳していきました。軍事的、政治的な理由などではなく、ひとつにはキリスト教徒との論争のための用意の意味もありましたが、何よりも知的なものへの彼らの希求を表しているのです。ひとつの思想が発見された時、それがアリストテレスであれプロクロスであれ、徹底的に吟味され、正しいものは吸収し、間違いがあれば反駁しなければならないと彼らは考えました。
 そのようなイスラムの賢者たちの中で、「最大の師」といわれるのがスペインのムルシア生まれのイブン・アラビーで、ナスル (1933~ ) の『イスラームの哲学者たち』( 1975 岩波書店・黒田壽郎、柏木英彦訳)では最も熱情と共感をこめて紹介されています。イブン・アラビー (1165~1240) の成長した時代はムハンマドの頃から遠く、啓示の生き生きした根源が見失われ、かっては暗示で了解したものが今では詳細な説明を必要とするまでになっていました。一方では現世享楽の風潮が、その一方では個の内面に沈潜するスーフィズム(イスラム神秘主義)が起こる時代の中で、イブン・アラビーの使命はそれまでの教説を吟味し、ばらばらの個人的体験のままであるスーフィズムの教説の理論的意味付けを行うことでした。彼がとった手法はタアウィール (ta'wil) と呼ぶもので、文字通りにはあるものをその始源へ戻すことを意味しています。宇宙の万物はその外面的意味の他に内なる精神的意味を持っており、かっては万人が理解しえたその意味も今は象徴という形でかろうじて残っているにすぎません。彼は自然の諸顕示、宇宙と人間のすべての領域に象徴的注解を施してその内的意味を洞察します。それは存在するものすべてが聖性と切り離し得ないこと、超越的な唯一者のなかにあり、またそれを自らに持つことを示すためなのです。
 イブン・アラビーは二十歳になると聖者に会うために遍歴をはじめ、二度と故郷に戻ることはありませんでした。ペルシャ人スーフィーの家庭でニザムという名の敬虔できわめて美しい少女に出会い、彼女は以後彼にとって永遠のソフィアの化身となりました。彼はメッカ、カイロ、アナトリアを旅し、その晩年はダマスカスに隠棲し、そこで主著『メッカ啓示』を完成させた後にその波乱に富んだ偉大な生涯を閉じました。
 

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