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2005年9月14日 (水)

ジョージ・オーウェル『オーウェル評論集』

 ディケンズは十歳のとき靴墨工場で一日十時間も働かされていました。二十年以上たったあとでも、この記憶は耐え難く、靴墨工場のあったストランドの一角はわざと回り道をして避けずにはいられませんでした。そこを通ると「長男が喋れるほどの年齢になってからでさえ、わたしは泣きたくなった」と自伝に書いています。その苦しい思い出の理由は貧乏ではなく、低級な仲間とつきあわなければならなかったからです。
 チャールズ・ディケンズは制度を変えれば世界はよくなるとは少しも考えていませんでした。「彼の作品にはどのページを見ても、社会はどこか根っこのところでまちがっているという意識がながれている」のです。だから彼は政治を軽蔑していて、議会が役に立つなどとは思えなかったのです。「彼の心の底には政治機構はいっさい不必要だという、信念に似たものが潜んでいる」とオーウェルは書いています。ディケンズが標的にするのは社会ではなく人間性です。彼は社会構造の変革よりも人間精神の変革を願っているのです。腐敗した社会では個人の善意など無力なのでしょうが、それでも立派な行いをする人間がいれば世界は少しはましになるだろうというのが彼の考えでした。「人間の行いがよくなれば世界もよくなるだろう、という思想は、案外陳腐ではない」とオーウェルは言います。「たいていの革命家は潜在的保守主義者である。なぜならば、社会の形態さえ変えれば万事が解決されると空想しているからだ。そして往々にしてこの変革が達成されると、それで事足れリとしてしまう。ディケンズはこういう粗雑な精神の持主ではない。不満の正体があいまいであることこそ、その不満が永遠のものである証拠なのだ」と。これは「広い心を持ちながら怒っている作家」ディケンズへの素晴らしい賛辞です。
 岩波文庫『オーウェル評論集』(1982 小野寺健編訳)にはこの「チャールズ・ディケンズ」の他にヘンリー・ミラーを論じた有名な「鯨の腹の中で」も収められています。そのエッセイの中で、オーウェルは、いかなる社会変革の思想も、個人の「主観的真実」を掘り下げた作家の誠実さには勝らないことを示しました。それは無力でありながら決して目を閉じないで見つめているそのような作家の誠実さです。
 

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