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2005年9月23日 (金)

イポリイト・テーヌ『プロスペル・メリメ』

 メリメ (1803~1870) は中編小説『カルメン』『コロンバ』『シャルル九世年代記』や短編『マテオ・ファルコーネ』『タマンゴ』などで今も全く古さを感じさせない作家ですが、その成功は作品の短さによるところが多い、とテーヌは書いています。メリメは後世の人間、時代も国も違う読者を想定して、彼らはメリメの時代よりさらに退屈さには容赦しないだろうと思っていました。おそらくディケンズやバルザックすら読まれなくなる時代がくると。そこで、メリメの小説は明晰で構成が完璧、分散せず焦点を一つに絞り、読者が興味を起こすことを(コルシカの復讐劇やジプシー女の誘惑や奴隷船の反乱など)簡明に直截に語ります。彼は読者に戸口で挨拶し、後は身を引いて、読者に勝手に吟味し批評するに任せます。間違っても自分の財宝を自慢することなどなく、知識をひけらかすどころか逆に隠そうとします。
 これは彼の性格に深く関わっている、とテーヌは証言します。過度の洗練さ、過度の慎み深さは己が傷つけられることを恐れる魂の有り様なので、恐らく幼年時代のある時期に自己を晒す過ちをして感受性を傷つけられ、以後は硬い殻で自らを覆い、感情の溢出や熱狂に常に警戒し、嘲弄を恐れるあまり無感覚を装っていたのではないかと。メリメはペダンティックや気障に見られることを嫌って、わざとぶっきらぼうに振る舞い、繊細な心を隠すため常に冷徹な微笑を浮かべていました。感動しやすく、信じやすい心を抑えるため Memneso apistein (常に疑い深くあることを忘れるな) と刻んだ指輪を死ぬまではずすことはありませんでした。実際は義侠心に富み、友人思いで親切で温かな人間だった、とテーヌは伝えています。彼に助力を頼みに行った人たちは、その冷淡な顔つきに当惑して帰ってくるが、しばらくすると彼は頼まれた助力を懐にして彼らのもとにやってくるのでした。メリメは上院議員、史蹟監督官、また皇后の友人として砕身して公務に務め、私事では勉強を好み、ロシア語、スペイン語、ジプシーのカロオ語にも通じ、歴史研究や言語学・民俗学に深い造詣をしめしました。生涯家庭を持たず、晩年は田舎に隠棲し、半里離れたところにいる野良猫に毎日食事を運んでいました。彼はあれほど用心しながら何度も女性に裏切られたとのことです。「欺かれはしまいかと惧れるために、彼は生活を疑い、愛を疑い、科学を疑い、芸術を疑った。彼は自己の猜疑心に欺かれていたのである。ひとは何かに常に欺かれるものであるから、おそらくは、初めから観念していた方が賢明なのではなかろうか」とテーヌは結んでいます。
 テーヌの『プロスペル・メリメ』は『文学史の方法』( 1953 岩波文庫・瀬沼茂樹訳)に収められています。

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