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2005年8月24日 (水)

渡辺照宏『日本の仏教』

 渡辺照宏『日本の仏教』(1958 岩波新書)は半世紀前の古い本ですが、特定宗派に組しない公平さと、文章の平明さで、現在でも十分再読に耐えます。まず著者は非常に簡明な前提から出発します。インドに発した仏教の根本は戒律・禅定・智慧にある、つまり戒という道徳的規準を土台とし、禅という宗教的体験によって、慧という絶対的真理に到達するのが、すべての仏教に共通する基本原則であるというのです。ここから上求菩提下化衆生(上に向かっては理想を実現し、下に向かっては衆生を幸福に導く)という生き方が生まれてくるというのです。こういう生き方を実践した僧として著者は、たとえば七世紀の道昭、八世紀の行基、鎌倉時代の叡尊、忍性らを挙げています。彼らは戒律を重んじ、禅定にいそしんだ僧侶たちですが、また人々のために橋をかけ、土手を築き、井戸を掘り、難民を救済しました。叡尊は非人とよばれる人たちに金銭や米を施し、宿を建て、また癩病人の小屋を作りました。忍性は飢饉や疫病流行のときに弟子たちを動員して活躍し、貧しい人たちの療病所や捨子の施設などを建てました。人々から「医王如来」として慕われたこの忍性を「律国賊」として非難したのは最もファナティックな宗教者日蓮でした。また、自力の拒否、戒律の放棄を唱える浄土真宗はその性格ゆえに社会事業に目を向けません。仏教の真の姿を正しく自覚してこれを実践しようとする意志は同時に民衆への無限の慈愛として表れる、と著者は書いています。
 著者は日本仏教の特筆すべき二人について書いています。一人は良寛で、もう一人は道元です。越後の名主の長男として生まれた良寛は、弟に家を譲り、備中の円通寺で禅僧としての厳しい訓練を受け、各地を行脚し、乞食生活を送り、晩年はみすぼらしい小屋で七十五歳の生涯を閉じました。庵にただ一つのすり鉢をそなえ、これで味噌をすり米を研ぎ手足まで洗いました。盗人に物を与え、乞食を愛し、子供と無邪気に遊ぶ彼の奇行じみた生活はその高潔な人格の表れに他なりません。人や動物植物などあらゆる自然に寄せられた愛情は厳しい禅の修行を前提にしたもので、竹の子を伸ばしてやるために床を切り、屋根を破ったというのも良寛なればこそきわめて自然なのです。道元については多くが語られてきました。彼は第一級の貴族の出自ですが、世間的な富や名声と縁を断って、ひたすら宗教者として仏教本来の姿に肉迫しました。人も自然もすべてこれ仏心あり、などという安易な仏教理解がはやる昨今、厳しく実践を問い続けた道元こそ慕わしいのです。

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