« ふたたび『ギリシア宗教発展の五段階』 | トップページ | 樋口一葉『わかれ道』 »

2005年8月 7日 (日)

ジル・ドゥルーズ『スピノザ』

 スピノザは死んだ時に7冊の蔵書とひとつの寝台しか遺しませんでした。それが彼の所有するもののすべてでした。彼は下宿暮らしを続け、父の遺産相続を放棄してからは財産も土地も何一つ執着するものをもたなかったのです。彼は、しかし、貧乏のまま死んだのではありません。彼の心酔者たちからの寄進にも最小限のものしか受け取らず、疲れた頭を休めるときは下宿の主婦や他の同居人たちと雑談をし、彼らが病気のときは懸命に看病したのでした。「哲学者が禁欲的な徳ー謙虚・清貧・貞潔ーをわがものとするのは、およそ特殊な途方もない、じつのところ禁欲とはほど遠い目的にそれを役立てるためなのだ」とジル・ドゥルーズは『スピノザ 実践の哲学』(2002平凡社ライブラリー鈴木雅大訳)で書いています。「謙虚も清貧も貞潔も、いまやことのほか豊かな、過剰なまでの生、思惟そのものをとりこにし他のいっさいの本能を従わせてしまうほど強力な生の結果となるのである」「謙虚も清貧も貞潔も、まさに自らが〈大いなる生者〉として生き、われとわが身を、あまりにも誇らかな、あまりにも豊穣な、あまりにも官能的な原因のための一神殿と化す彼一流のやり方だったのだ」
 ドゥルーズがスピノザに示す満幅の共感には何か私たちの心を揺り動かすものがあります。ジッドがモンテーニュについて書き、アルトーがヴァン・ゴッホについて書き、バレスがエル・グレコについて書いたのをそれは思い出させます。いや、それ以上の共感の激発といったものがそこにはあるのです。「このつましい、無一物で、病にも蝕まれていた生が、この華奢でひ弱な体が、この輝く黒い眼をした卵形の浅黒い顔が、どうしてこれほど大いなる生の活気に満ち、生そのものの力を体現している印象を与えるのだろう」とドゥルーズは自問しています。おそらくそれはスピノザの哲学ー希望の哲学そのものに内在しているのでしょう。なぜならスピノザにとって現実のあらゆる否定的なものの徴候にもかかわらず人間の生は十分すぎるほど信頼できるものであったからです。破門され、友人を虐殺され、住む街を追われ、暗殺されかかった時の穴のあいたマントを自戒のため常に手放さなかったこの哲学者は、死ぬその瞬間まで生への信頼を捨てなかったのです。

|

« ふたたび『ギリシア宗教発展の五段階』 | トップページ | 樋口一葉『わかれ道』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113600/5353475

この記事へのトラックバック一覧です: ジル・ドゥルーズ『スピノザ』:

« ふたたび『ギリシア宗教発展の五段階』 | トップページ | 樋口一葉『わかれ道』 »