« ファン・フーリク『中国のテナガザル』 | トップページ | フロマンタン『オランダ・ベルギー絵画紀行』 »

2005年8月15日 (月)

柳宗悦『柳宗悦茶道論集』

 喜左衛門井戸は天下第一の器物で、名だたる茶人たちの手を経て雲州不昧公に金子五百五十両で買い取られ、以後松平家の許可無くしては何人も拝観できない大名物中の大名物と言われています。柳宗悦はある人の好誼で大徳寺所蔵のこの茶碗を見ることができました。今、彼の目の前には五重の箱に入れられ、紫の衣にくるまれてその茶碗が置かれています。禅師は静かに箱からそれを取り出し宗悦の前に差し出します。彼はそれを見、それを手に取りました。「いい茶碗だーだが何と平凡きわまるものだ」と彼は心の中で叫びます。凡々たる品物、何の企みも飾りもない、これ以上平易な器物はありません。それは朝鮮の飯茶碗で、貧乏人が普段に使う一番値の安い茶碗です。誰にもできるし、誰にも買えたもの、無造作に、しかも何千個も作らねばもとのとれない雑器にすぎません。土は裏手の山から掘り出し,うわぐすりは炉からとってきた灰で、ろくろは芯が緩んでいて、削りは荒っぽく、焼き方は乱暴、使うのは農民で、盛られるのは白米でなく、使ったあとでろくに洗われもしないのです。朝鮮の田舎を旅すれば誰でも出会うありふれた光景、それがこの茶碗のありのままの正体です。
 しかし、日本で作られるどんな茶碗もこの茶碗を越える美しさを持つことはできなかったのです。その美は賜物であって、作られたものでなく生まれたものです。企みのないもの、邪気のないもの、無心なもの、奢らないもの、それが室町期の茶人の心を打ったのです。彼ら美の探求者たちは、箱書きに頼らず、銘などものともせず、誰の作なのかも尋ねず、人々の評など気にせず、曇りのない眼でものをじかに見たのです。「かくも深く見得た人々を私は海外に知らない」と宗悦は書いています。「茶人の眼は甚だ正しい。平凡な飯茶碗はそのままにしてついに非凡な茶器に変わったのである」
 柳宗悦(1889~1961) の『柳宗悦茶道論集』(1987岩波文庫)は平易・無事の姿を最上とする民藝論を語った彼の最も先鋭な評論です。「私は『井戸』の幾多の兄弟や姉妹が今もこの世にあることを示してゆこう。そうしてこの地上を少しでも美しくしてゆこう」と彼は書いています。その美意識に賛成はできないとしても、その激しい熱情には打たれます。「熱くも冷たくもなく、ぬるきがゆえに私は吐き出す」とヨハネ黙示録3-16は記しています。

|

« ファン・フーリク『中国のテナガザル』 | トップページ | フロマンタン『オランダ・ベルギー絵画紀行』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113600/5478109

この記事へのトラックバック一覧です: 柳宗悦『柳宗悦茶道論集』:

« ファン・フーリク『中国のテナガザル』 | トップページ | フロマンタン『オランダ・ベルギー絵画紀行』 »