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2005年8月31日 (水)

ロバートD.カプラン『バルカンの亡霊たち』

 「人が残虐行為に手を染める土地、それはいったいどんなところだろう?」とロバートD.カプランは自問します。ドイツでは何も感じない。しかし、ウイーンに入るとそれをかすかに感じることができる、それは虐殺の匂いです。そこには反ユダヤ主義の父カール・リューガーの大きな記念像が建っています(ドイツなら考えられないことです)。そしてバルカンに入ると、そこは果てしのない憎しみと虐殺と裏切りの繰り返しの始まりなのです。1941年ルーマニアの「大天使ミハイル軍団」は200人のユダヤ人を市営の屠殺場で自動化された流れ作業の機械にかけて頭、腕、脚を切断していきました。(ルーマニアからパリに亡命してきたイヨネスコ、エリアーデ、シオランらが若い頃この反ユダヤ主義的、愛国的組織に関わっていたのではないかともいわれています)。ルーマニアはナチ以外で絶滅収容所を作った唯一の国です。1876年トルコ軍はブルガリアの村バタクの5000人の正教徒を教会の中で切り刻んで殺しました。またトルコ軍は1903年にもマケドニア全土で残虐の限りを尽くしました。第二次大戦後セルビア人パルチザンはコソボのアルバニア人を大量に虐殺していきました。大戦中ギリシアのテッサロケの56000人のユダヤ人のうち54060人がアウシュヴィッツに送られて殺されました。バルカンでは虐殺は相応の歴史を持っています。ユーゴスラビアの源は600年前のコソボ平原の虐殺に発しています。遥か昔の出来事だとして誰がそれを忘れることができるでしょうか。それは親から子へ、子から孫へ民族の血となって受け継がれていくのです。
 カプランの『バルカンの亡霊たち』(1996NTT出版、宮島直機・門田美鈴共訳)はバルカン問題に関する恐らく最良の書物です。彼は鞄にレベッカ・ウエストの『黒い子羊と灰色の鷹』とジョン・リードの『東欧の戦争』を入れてバルカン中を旅しました。クロアチアのザグレブで始まり、ギリシアのアドリアノーブルで終わるその旅で、彼は悲惨な歴史を抱える人々と対話し、彼らの歴史を深く深く掘り下げていきます。トルコとロシアとドイツという大国に押しつぶされ、邪悪な指導者に踏みしだかれ、それぞれ屈辱と復讐の歴史を持つ国々にも希望はありました。ルーマニアの森の中の「絵の修道院」はこの世ならぬ美しさに満ちています。そしてカルパチアの奥に住む人々は天国の優しさと素朴さを抱いています。「多くの悪のなされるところでのみ神は蘇りたまう」のです。

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