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2005年7月12日 (火)

R.H. ロービア『マッカーシズム』

 シュテファン・ツヴァイクの『ジョセフ・フーシェ』やダフ・クーパーの『タレイラン評伝』は読んでいて面白いのですが、フーシェやタレイランは私たちふらふらした人間からみるとあまりに計算ずくで共感を喚びません。まして友人にしたいとは思わないでしょう。R.H.ロービアの『マッカーシズム』(岩波文庫1984)が描くジョセフ・マッカーシー(1908~1957) は、それと反対に、日曜日に一緒に競馬場でバーボンを飲みたいような人間です。
 マッカーシーは1950年2月のウェストヴァージニアでの有名な演説で、国務省に潜んでいる207人の共産主義者(その数は108とも57ともいわれる)について語りました。それ以来、アメリカの「汚点」ともいわれる赤狩りが始まったのですが、それによって映画関係者、外交官、軍人など、多くが人間不信の中で苦しみ、傷ついていきました。マッカーシー自身は名指しした人間の誰一人として確たる証拠をあげられなかったのですが、彼が示唆した幾人かが実際はシンパどころかソ連のスパイでさえあったといわれています。これこそ歴史の皮肉ですが、彼自身は反共でも何でもなく、ただ次の選挙のための争点が欲しかったに過ぎません。しかし、なされた演説は異常な反響をよび、憎悪を共産主義と一体化している人間、世界を単純化し現実を忘れさせてくれるリーダーを求める人々の熱狂を生んだのです。無名の上院議員は一夜にして時の人となりました。「内蔵助十四日まではただの人」というわけです。
 彼がその運動を組織化もせず、深めようともしなかったのは謎の一つです。彼は民衆に、自分を粗野で無教養で賭博好きの男と見られることを望んでいました。実際その通りなのですが、彼はすすんでカメラマンに、公園のベンチの浮浪者のようにだらしなく寝そべった写真をとらせました。そこにはシニカルな自嘲があります。「その没落はその台頭以上に解明が難しい」とロービアは書いています。マッカーシーは一度たたかれると二度と這い上がろうとはしませんでした。彼は現実を受け入れ、酒に溺れ、48歳の若さで死にました。権力を求める人間はその権力自体に酔っているので実際の生活は禁欲的であることが多いとすれば、彼が求めたのは権力ではありません。ロービアはマッカーシーの中に「信念の欠如、無邪気さ、友人を愛し、人に好かれたいという願望」を見ています。彼こそ、「いい奴はいつもビリ」というアメリカ流の金言の二重に裏返した証明となっているのです。

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