« 古谷綱正『私だけの映画史』 | トップページ | R.H. ロービア『マッカーシズム』 »

2005年7月 8日 (金)

葛洪『抱朴子』

 柴田宵曲の『古句を観る』(岩波文庫)は何度読み返しても尽きせぬ井戸のように興の湧いてくる本ですが、何より、消極的に生きることを人生の目標とした著者のゆかしさに惹かれるでしょう。葛洪(284~363) の『抱朴子』も字の通り、素朴を抱く人、世間の濁流に汚されない人の意で、周囲がそう呼んでいたので自ら号したとのことです。
 葛洪は抱朴子・外篇の最後に「自叙」を置いています。それによると、彼は呉の名家の出だが、呉の没落とともに不遇の身になり、飢えと寒さに苦しみながら百姓仕事をしていました。薪を売って、そのお金で紙と筆を買い、笈を背負い徒歩で本を借り歩き、芝の火明かりで書物を筆写するほどの努力を重ねながら、ああ何としたことでしょう、彼には才能が無かったのです。頭脳は凡庸、おまけに忘れっぽく、気が散りやすく、知識は上っ面で浅薄、さらに追い打ちをかけるように、容貌は醜く、口べたで、病身で足が不自由なので遠出もできず、冠・靴は垢じみ破れ着物もぼろぼろ、もちろん車も馬もなく、家は雨漏り、部屋には草が生え、蓬をかき分けなければ外にも出られません。しかし、致命的なことは人間関係が全く駄目なことです。口先だけ親密な交際はできず、人に頼み事もせず、不必要なことは挨拶すら口にせず、したがって役人になることは最初から諦めました。
 ここで、葛洪は悟ります。自分の才能はありふれて貧しい。こんなものを振り回しても、肩をすくめ膝をまげ世の塵の中を走りまわったとて名誉や地位を得られるものではない。まして、肩をすくめ膝をまげることができないとすればなおさらである。ならば、一家言を立て、せめて後世にその名を残そう。こうして『抱朴子』内篇・外篇を書き上げます。外篇は世事についての意見ですが、彼の名は内篇の特異さによって2000年の歳月を越えて生き延びました。神仙の道、仙薬の処方、不老不死の法についてこれほど情熱的にこれほど詳細にこれほど説得的に説いた書物は見当たりません。出世の道が塞がれ、自分の体さえ養えず、すべての望みが絶たれたとき彼は中国人にとって最高のものを、つまり歴史の目録の中にその名を残すことを得たのです。

|

« 古谷綱正『私だけの映画史』 | トップページ | R.H. ロービア『マッカーシズム』 »

コメント

argus さん、こんにちは。
「世間の濁流に汚されない」で生きるのは凡人には難しいことと最近しみじみ思います。
形而上的に精神的にでなく、不老不死の法を追求した点がすごいですよね。
ジョゼフ・ニーダムが道教、葛洪について書いていたように思います、また読みたくなりました。
それでは...

投稿: 茶色のこぐま | 2005年8月 2日 (火) 23時01分

茶色のこぐまさん、こんにちは。
葛洪があれほど執拗に不老不死の法を力説したのは、当時すでにそれがほとんど信ずるに足らずと思われていたからでしょう。ニーダムは確か葛洪に好意的なことを書いていたように記憶しています。また、葛洪が記している植物の知識が中国の本草学に与って力あったと読んだこともあります。
それでは、、、

投稿: argus | 2005年8月 3日 (水) 21時28分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113600/4875411

この記事へのトラックバック一覧です: 葛洪『抱朴子』:

« 古谷綱正『私だけの映画史』 | トップページ | R.H. ロービア『マッカーシズム』 »