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2005年7月 4日 (月)

古谷綱正『私だけの映画史』

 ニューヨークのインテリが酷評している映画があると自分は真っ先に観に行く、とスティーヴン・キングは書いています。自分と映画との密かなつながりを自負し、どんな映画にも普段の人間関係では決して出し得ないこまやかな愛情の網をはりめぐらせる人、本当の映画好きとはそういった人々です。古谷綱正の『私だけの映画史』(暮らしの手帖社1978)は「自分でもどうしてこんなに映画が好きなのかわからない」という著者が雑誌に連載した映画評を一冊の本にまとめるとき、筆が走って、少年時代からの回想が止まらないフィルムのように流れ出てきた結果できた書物です。学校をさぼっていた不良学生の頃、左翼活動を続けた大学時代、そして新聞記者として迎えた開戦と終戦、しかしそれらの出来事はなぜか淡々と著者の横を通り過ぎていくかのごとくです。「人生は退屈な時間の連続だ。私たちは映画の中でだけ本当に生きることができるのだ」という『アメリカの夜』のトリュフォーの台詞のように、著者の生活の本当のリアリティーは幼児の頃から見続けてきた映画の中にこそあったのです。
 学生の頃、頼まれて弁士を演じていたときがありました。徳川夢声や牧野周一の声の調子を自家薬籠中のものとしていた著者は水を得た魚のように張り切りました。『ボー・ジェスト』の最後、主人公の遺書を読み上げるシーンで、「叔母さま、あなたは私にボー・ジェスト、美しき行ないという名をつけて下さいました。わたしはいつもそれにそうように努力してきました、、」と語ると、暗い映画館のあちこちからすすりなく声が聞こえてきます。それは弁士にとって気持ちのよいことでした。「私は弁士になろうかとさえ考えた」その著者はそれから35年後、逃げ惑うベトナムの民衆と苦戦するアメリカ兵士の映像をバックに冷静にニュースを読み上げるキャスターとなっていました。1964-1981 の間TBSニュースコープの顔として「日本のクロンカイト」と呼ばれた著者は「長い道草を食ったがやっと本業に戻った」と感じます。それは映像を見ながらそれに説明を加える仕事、つまり弁士の仕事に他ならないのです。

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