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2005年7月31日 (日)

ギルバァト・マレー『ギリシア宗教発展の五段階』

 アンスティテネスはプラトンの20歳年長ですが、彼が自分の哲学を見いだしたのは晩年になってからです。アテェナイには身分の低く貧しい市民のための学堂があり、キュノサルゲスと名付けられたその学堂は大いなる私生児ヘラクレスに捧げられていました。アンスティテネスは、それまで貴族の間で教えていたのですが、今や自分の母親がトラケェの奴隷であったことを思い出し、自分の学堂をキュノサルゲスの中に、この地上で相続権を奪われた者たちの間に打ち立てたのです。彼は艱難辛苦に耐えうる者しか弟子にとらず、杖をもって新来者を追い払うことを常としていました。
 その頃、貨幣の表を摩滅させた罪で獄屋に入れられた悪名高い両替商の息子がアンスティテネスの前に現れました。彼、ディオゲネスは去れといわれても去らず何度杖で打たれても一歩も動きませんでした。彼の一生の目標は父親の仕事と同じこと、つまりこの世に流通するあらゆる貨幣の表を磨りつぶすことだったのです。将軍、国王などの肩書、富や名声などの幸福は偽りの表書きに書かれた下等な金属に他なりません。人間の救済は本然に帰ることであって、獣のように原始人のように蛮人のように生きることです。彼は毛布と頭陀袋と杖を持ち、市民生活や結婚を軽蔑し、眠れる所で眠り、至る所で食を乞い、広場で公然と性行為をしました。ここには満々たる野心とあふれるばかりの自己顕示があります。哲学はそこまで徹底することによって初めて人を感動させうるのです。
 ギルバアト・マレーの『ギリシア宗教発展の五段階』(岩波文庫1971)の筆はその第三章「前四世紀の大学派」に至って冴えわたります。ペロポネソス戦争の敗北はアテェナイ市民のみならず全ギリシア世界を悲嘆の底に落としました。アテェナイの敗北はポリスの敗北であり、ポリスこそはギリシア人の忠誠と憧憬の対象だったからです。ほとんど神ともいうべき絶対的対象の没落を目の当たりにして、人々の精神はひたすら内面へと向かいました。アレテー(徳)以外のすべては偽りの仮面であり、文明に浴されたものは宗教上の規制・習俗に至るまで人を不幸にせざるをえないのです。何ものをも恐れるな、欲するな、所有するなというディオゲネスの哲学は、人々をその「奴隷状態」から解放することで、新しき生活の指針を示したのです。
 ディオゲネスについてのエピソードは他のどんな哲学者よりも断然多いのですが、私が一番好きなのは次のような話です。あるときディオゲネスが川で水を飲もうとしていると、近くにいた幼い子が両手で水をすくって飲んでいました。それを見て彼は自らを恥じ、頭陀袋からコップを出して捨てたのでした。

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2005年7月28日 (木)

クラウス・シュライナー『マリア 処女・母・女主人』

 天使ガブリエルがいきなりマリアの部屋を訪れて、救世主の母に選ばれたと告げたとき、彼女は驚かなかったでしょうか。驚いたに違いない、と中世の人々は考えました。彼らはマリアの立場に立って、まるで自分がマリアであるかのように思案したのです。そうするとルカ伝の簡単な記述は彼らには物足りません。「男を知らない私がなぜ子供を生めるのでしょうか」と聖書のマリアは質問します。当然です。天使はマリアの不安を打ち消しますが、そう簡単に納得できる問題ではありません。ある書物では天使が三通の手紙(父、子、精霊の)と三人の処女(賢明、貞潔、謙譲の)を連れてマリアのもとを訪れた、と記しています。決心のつかないマリアは三通目の手紙と三人目の処女の言葉を聞いてやっと納得します。謙譲の処女はマリアに「危機に瀕した世界はあなたの決断を待っている」と告げたのでした。
 クラウス・シュライナーはマリア論と中世史の専門家で、その著書『マリア 処女・母・女主人』(法政大学出版局)は、聖書の中の脇役でしかないマリアが中世以降なぜかくも重要な地位を占めるに至ったかを論じています。
 マリアは美人だったろうか、やさしい女性だったろうか、どんな着物をきて休みの日にはどこに買いに行ったのだろうか、が中世の人々の関心の的でした。彼らはマリアの中に愛し子を失った悲運な女性を見ていたのです。以下は中世の人々にとって事実以上に真実なことでしょう。・・・マリアの母アンナは三度結婚した女性だった。マリアは子供の頃から信心深く、いつも教会堂の掃除や自分のできる精一杯のことをしていた。13歳の時40歳半ばのヨセフと婚約した。ほどなく天使が現れてマリアが聖母に選ばれたことを告げた。ヨセフはこの事実を受け入れ、マリアとともに神殿に鳩のつがいを供えた。鳩を供えることは貧しい階級のしるしである。そしてイエスは貧しい処女の胎内から馬小屋の中に生まれた。粗末な布にくるまれて飼葉桶に寝かされ、わずかな乳で育てられ、飾らぬ言葉で率直な真理を告げ、不名誉な責めを負って十字架上で死に、見知らぬ墓に葬られた、、。
 私はマリアの名を聞くと、マンテーニャの「聖母の死」を思い出します。エフエニオ・ドールスが、もしプラド美術館が火災にあって、ただ一点の絵画しか救い出せないとしたら必ずやこの作品が選ばれるだろう、と書いた板張りの小さな絵なのですが、、、。

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2005年7月24日 (日)

メアリー・カー『うそつきくらぶ』

 ティム・バートンの映画『ビッグフィッシュ』はホラ話ばかりをする父親とその息子の心の通い合いを描く感動的な映画ですが、メアリー・カーの『うそつきくらぶ』(1999青土社・永坂田津子訳)もホラ話の好きな父親と娘の愛情の交流がひとつのテーマとなっています。
 石油会社の労働者である父親は非番の日に仲間と酒を飲みながらバカ話をするのが楽しみなのですが、婦人を閉め出した男だけのこの「会合」を妻たちは「うそつきくらぶ」と呼んでいました。幼かったメアリーはこの飲み会に同席することを許されて、そこで非凡な物語の語り手である父親のとんでもない話を頭の中に刻みこんでおきます。父親とその仲間たちは、回想録という副題のついたこの本の中で唯一肯定的に描かれています。「そこにはともかく消えていこうとするものの輝きがあった」と著者は書いています。そして彼ら以外は、、、すべて徹底的に洗いざらいこき下ろされ、裸にされ、気の済むまでに活字の上で復讐されているのです。
 舞台はイーストテキサスの亜熱帯の土地、「ビジネスウイーク」誌が世界で最も醜悪な10の町の一つに選んだリッチフィールドです。毒蜘蛛や毒蛇が出没し、海にはサメや毒エイが潜み、毎年恐ろしいハリケーンが襲い、さらに石油工場、化学工場、枯葉剤製造工場まであって、空の色を不気味な緑色に変えています。ここでは殺人や自殺が日常茶飯事です。「イースト・テキサスの言い方では」と著者は書いています。「神経症(ナーバス)になるという語は常習的に爪を噛む癖のある人から正真正銘の精神病にいたる何にでも当てられるが、いずれもぴったりくるということである。道路下のシビドーさんは女房と息子三人の頭を散弾銃でぶちぬき、それから家に火を放って散弾銃をあごの下にあてて爪先で引き金を引いた」
 無学で粗暴だが優しい父親、7度も結婚をしたアル中で精神病の母親、奇矯な行動を繰り返し癌で死んでいく祖母、頭は良いが合理的で冷たい姉などが主要な登場人物ですが、それにしても著者の記憶力の細かさは驚異的です。7歳から10歳までの思い出を400頁を越えて書き込むことなど誰ができるでしょうか!この本の主眼の一つは父への愛情であり、父が携えてきたものへの愛着です。物語は父の死によって終わりますが、そこではじめて、「父さんは省略によって最高のウソをついた」ことがわかります。メアリー・カーのこの本は彼女がアメリカ伝統のトール・テールの由緒正しい継承者であることを語っています。

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2005年7月20日 (水)

イーヴリン・ウォー『ブライヅヘッドふたたび』

 オックスフォードに入学したばかりのセバスチャン・フライトは際立った美青年で、その天真の純粋さは誰をも惹きつけずにはおきません。アロイシアスと名のついた大きな仔熊のぬいぐるみを親友のようにいつも持ち歩いています。侯爵の次男である彼の生活はいつも至上命令「今夜は赤いパジャマを着なければ」「明日は絶対昼まで寝ていなければ」「君に謝らないとアロイシアスが許してくれないから、、、」というものに支配されているのです。「シャトー・ペラゲーの白葡萄酒と苺を食べると天国の味がするよ」と彼は友人にいいます。そして美しい楡の樹の下に寝転びながら、「ここは金の甕を埋めるのにちょうどいいところだ」と言います。「ぼくは自分が幸福な思いをした場所ごとに何か貴重なものを埋めて、そして自分が年をとって醜くなってからそこへ戻ってそれを掘り出しては昔を回顧したいんだ、、」
 そんなセバスチャンがオックスフォードの二年目から酒に溺れるようになり、大学を退学し、家族との連絡を断ち、モロッコからアルジェ、アルジェからギリシアに流れて貧民同然の生活をし、ついにはカルタゴの修道院の下働きになっていくのです。『ブライヅヘッドふたたび』の主眼は読者がこのセバスチャンの人生を肯定できるかどうかに焦点を合わされています。彼の母親のマーチメーン侯爵夫人と兄のブライヅヘッド伯は凝り固まったカトリック教徒で、敬虔な生活を愛し、セバスチャンの奔放な生活と飲酒癖をいつも非難しています。ところがカトリック教徒としては完全である彼らに欠けているものは実は皮肉にも信仰そのものなのです。セバスチャンは反対に自分自身を罪深い人間と感じ、自分自身を憎み、自分自身に際限のない罰を与えようとします。彼は自分を普通の人間にもなれず、かといって修道士にもなれない、つまり何の価値も無い人間と見なします。そして。ここにこそ作者の思いがこめられているのです。現世は無であり、来世がすべてなのです。生はかりそめの姿、死は喜ぶべき訪れです。信仰に身を捧げて生きるとは、信仰から遠ざかることに他なりません。ぼろぼろの衣服を着、やつれた姿をしてセバスチャンが修道院を訪れたとき、院長から、修道士になるには修行が必要だと言われます。「ぼくは修行したくないんです。修行しなくてならないのなら、しなくていいんです」と彼は答えます。キリストがもしイギリス有数の大貴族の次男に生まれてきたら、多分彼の生涯はセバスチャンと似通ったものになるに違いありません。彼もまた思い出の場所に大切なものを埋め、仔熊のぬいぐるみを連れて歩くでしょう、、。

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2005年7月15日 (金)

小林よしのり『東大一直線』

 『原色よい絵よくない絵事典』(黎明書房)には子供の絵について興味深いことが書かれています。子供の絵の中でよく表現されること、電車が空を走ったり、チューリップが女の子と同じ大きさだったりすることは、子供の感動の率直な表現です。三等身や二等身で描かれた人間は、その子供にとって何より顔が重大な意味を持っているからに他なりません。ところが遅くとも小学校高学年になると、絵は現実の客観的な描写に近づこうとします。現実原則に屈した子供はもはや二度と彼自身の「絵」を描くことはないでしょう。ただ天才のみが感動を大人にまで持ち続けることができるのです。
 小林よしのり『東大一直線』(小学館コロコロ文庫)の主人公東大通は妄想の中で生きています。オール1の通信簿をオール一番と思い込み、張り出されたテストの成績を逆からみて自分が一番と思い込みます。しかし、ついに高校入試の日がやってきます。自分が秀才と思い込んでいる通は県最優秀校オサール学園を受験します。通の父親はそれまで通にせがまれて落書きするためだけの参考書を買ったり、全く意味もない進学塾に通わせたりしてきました。受験に出かける通を両親は家の前で見送ります。「いってこい、通!」と父親は通に声をかけます。「今さらむだだからよせとはもういわん。おまえの気のすむまで答案用紙をよごしてこい」その瞬間、父親の目からは涙があふれてきます。「こんどこそ、通、おまえは現実をしらされねばなるまい、、、おまえの頭の中の現実を、、、おまえの頭の中の現実、それは0だ、無だ、空だ、パーなのだ、、」
 無論、これはひとつの寓話です。大人になることは現実原則を耐えて受け入れることであり、それ以外ではありません。「人は神の死から悲しみとともに立ち上がらねばなりません」とリルケはルー・ザロメに宛てた手紙で書いています。神とは自分自身のことです。
 『東大一直線』は9巻まで出て、さらに続編も出ました。しかし、私は青春の笑いと痛さを描いた中学篇(5巻まで)が好きです。

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2005年7月12日 (火)

R.H. ロービア『マッカーシズム』

 シュテファン・ツヴァイクの『ジョセフ・フーシェ』やダフ・クーパーの『タレイラン評伝』は読んでいて面白いのですが、フーシェやタレイランは私たちふらふらした人間からみるとあまりに計算ずくで共感を喚びません。まして友人にしたいとは思わないでしょう。R.H.ロービアの『マッカーシズム』(岩波文庫1984)が描くジョセフ・マッカーシー(1908~1957) は、それと反対に、日曜日に一緒に競馬場でバーボンを飲みたいような人間です。
 マッカーシーは1950年2月のウェストヴァージニアでの有名な演説で、国務省に潜んでいる207人の共産主義者(その数は108とも57ともいわれる)について語りました。それ以来、アメリカの「汚点」ともいわれる赤狩りが始まったのですが、それによって映画関係者、外交官、軍人など、多くが人間不信の中で苦しみ、傷ついていきました。マッカーシー自身は名指しした人間の誰一人として確たる証拠をあげられなかったのですが、彼が示唆した幾人かが実際はシンパどころかソ連のスパイでさえあったといわれています。これこそ歴史の皮肉ですが、彼自身は反共でも何でもなく、ただ次の選挙のための争点が欲しかったに過ぎません。しかし、なされた演説は異常な反響をよび、憎悪を共産主義と一体化している人間、世界を単純化し現実を忘れさせてくれるリーダーを求める人々の熱狂を生んだのです。無名の上院議員は一夜にして時の人となりました。「内蔵助十四日まではただの人」というわけです。
 彼がその運動を組織化もせず、深めようともしなかったのは謎の一つです。彼は民衆に、自分を粗野で無教養で賭博好きの男と見られることを望んでいました。実際その通りなのですが、彼はすすんでカメラマンに、公園のベンチの浮浪者のようにだらしなく寝そべった写真をとらせました。そこにはシニカルな自嘲があります。「その没落はその台頭以上に解明が難しい」とロービアは書いています。マッカーシーは一度たたかれると二度と這い上がろうとはしませんでした。彼は現実を受け入れ、酒に溺れ、48歳の若さで死にました。権力を求める人間はその権力自体に酔っているので実際の生活は禁欲的であることが多いとすれば、彼が求めたのは権力ではありません。ロービアはマッカーシーの中に「信念の欠如、無邪気さ、友人を愛し、人に好かれたいという願望」を見ています。彼こそ、「いい奴はいつもビリ」というアメリカ流の金言の二重に裏返した証明となっているのです。

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2005年7月 8日 (金)

葛洪『抱朴子』

 柴田宵曲の『古句を観る』(岩波文庫)は何度読み返しても尽きせぬ井戸のように興の湧いてくる本ですが、何より、消極的に生きることを人生の目標とした著者のゆかしさに惹かれるでしょう。葛洪(284~363) の『抱朴子』も字の通り、素朴を抱く人、世間の濁流に汚されない人の意で、周囲がそう呼んでいたので自ら号したとのことです。
 葛洪は抱朴子・外篇の最後に「自叙」を置いています。それによると、彼は呉の名家の出だが、呉の没落とともに不遇の身になり、飢えと寒さに苦しみながら百姓仕事をしていました。薪を売って、そのお金で紙と筆を買い、笈を背負い徒歩で本を借り歩き、芝の火明かりで書物を筆写するほどの努力を重ねながら、ああ何としたことでしょう、彼には才能が無かったのです。頭脳は凡庸、おまけに忘れっぽく、気が散りやすく、知識は上っ面で浅薄、さらに追い打ちをかけるように、容貌は醜く、口べたで、病身で足が不自由なので遠出もできず、冠・靴は垢じみ破れ着物もぼろぼろ、もちろん車も馬もなく、家は雨漏り、部屋には草が生え、蓬をかき分けなければ外にも出られません。しかし、致命的なことは人間関係が全く駄目なことです。口先だけ親密な交際はできず、人に頼み事もせず、不必要なことは挨拶すら口にせず、したがって役人になることは最初から諦めました。
 ここで、葛洪は悟ります。自分の才能はありふれて貧しい。こんなものを振り回しても、肩をすくめ膝をまげ世の塵の中を走りまわったとて名誉や地位を得られるものではない。まして、肩をすくめ膝をまげることができないとすればなおさらである。ならば、一家言を立て、せめて後世にその名を残そう。こうして『抱朴子』内篇・外篇を書き上げます。外篇は世事についての意見ですが、彼の名は内篇の特異さによって2000年の歳月を越えて生き延びました。神仙の道、仙薬の処方、不老不死の法についてこれほど情熱的にこれほど詳細にこれほど説得的に説いた書物は見当たりません。出世の道が塞がれ、自分の体さえ養えず、すべての望みが絶たれたとき彼は中国人にとって最高のものを、つまり歴史の目録の中にその名を残すことを得たのです。

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2005年7月 4日 (月)

古谷綱正『私だけの映画史』

 ニューヨークのインテリが酷評している映画があると自分は真っ先に観に行く、とスティーヴン・キングは書いています。自分と映画との密かなつながりを自負し、どんな映画にも普段の人間関係では決して出し得ないこまやかな愛情の網をはりめぐらせる人、本当の映画好きとはそういった人々です。古谷綱正の『私だけの映画史』(暮らしの手帖社1978)は「自分でもどうしてこんなに映画が好きなのかわからない」という著者が雑誌に連載した映画評を一冊の本にまとめるとき、筆が走って、少年時代からの回想が止まらないフィルムのように流れ出てきた結果できた書物です。学校をさぼっていた不良学生の頃、左翼活動を続けた大学時代、そして新聞記者として迎えた開戦と終戦、しかしそれらの出来事はなぜか淡々と著者の横を通り過ぎていくかのごとくです。「人生は退屈な時間の連続だ。私たちは映画の中でだけ本当に生きることができるのだ」という『アメリカの夜』のトリュフォーの台詞のように、著者の生活の本当のリアリティーは幼児の頃から見続けてきた映画の中にこそあったのです。
 学生の頃、頼まれて弁士を演じていたときがありました。徳川夢声や牧野周一の声の調子を自家薬籠中のものとしていた著者は水を得た魚のように張り切りました。『ボー・ジェスト』の最後、主人公の遺書を読み上げるシーンで、「叔母さま、あなたは私にボー・ジェスト、美しき行ないという名をつけて下さいました。わたしはいつもそれにそうように努力してきました、、」と語ると、暗い映画館のあちこちからすすりなく声が聞こえてきます。それは弁士にとって気持ちのよいことでした。「私は弁士になろうかとさえ考えた」その著者はそれから35年後、逃げ惑うベトナムの民衆と苦戦するアメリカ兵士の映像をバックに冷静にニュースを読み上げるキャスターとなっていました。1964-1981 の間TBSニュースコープの顔として「日本のクロンカイト」と呼ばれた著者は「長い道草を食ったがやっと本業に戻った」と感じます。それは映像を見ながらそれに説明を加える仕事、つまり弁士の仕事に他ならないのです。

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2005年7月 1日 (金)

佐貫亦男『発想のモザイクー技術開発の民族風土』

 著者が普通のハイキング靴で雨のアルプ(高原)を歩いていると、上等な山靴で足回りを固めたドイツ婦人が著者の靴を見て、「ガンス・ナース(びしょ濡れだわ)」と哀れむような、いや軽蔑さえ浮かべた表情で指摘しました。これが実にドイツ的で、もしイギリス人ならその服装から相手の山歴を推定することはあっても、粗末なハイキング靴だけでその人を軽く見ることは絶対にないだろうと著者は書いています。ドイツ人の関心は装備(道具)のみにありますが、イギリス人の関心は人間にあって、道具は手段にすぎません。ドイツ人が道具に示す様々な配慮(カメラの下げひもにこぶをつけるとか、万年筆は必ずペン先を上にして落ちるとか)は、それを使う人間へのあたたかな思いやりなどではなく、道具そのものへの愛着にすぎないのです。というより、ドイツ人は道具しか愛せないので、道具作りに没頭しているときは鬱陶しい人間関係を忘れることができるのです。つまり、精巧なカメラや居心地のよい車両デザインの後ろには、妻の小言や我慢ならない隣人や凡庸な同僚のこを忘れて設計図を前にパイプをふかしながら幸福な時間を過ごしている技術者の姿があるのです。
 その反対に人間性の冷静な観察者であるイギリス人は、人間関係のトラブルを恐れず、また大人なので、本質的でないことに没頭することを嫌います。といって尊大でもなく、一度友人になると最良の友人になるのはイギリス人だそうです。著者によれば、イギリスに長く住んだ日本人でイギリス人の悪口を言う人は一人もいず、ドイツに長く住んでドイツ人の悪口を言わない日本人は一人もいないそうです。
 『ドイツ道具の旅』『ドイツの街・道具と心』などの著書のある佐貫亦男(1908-1998) の『発想のモザイク』(1972中公自然選書) は、道具を通してヨーロッパの国民性を論じた興味深い本です。ドイツ人に対してかなり辛辣な見方をしている理由は著者の若い頃のドイツへの憧れの反動によるものでしょう。著者は昔、ベルリンでローライフレックスのカメラを購入して、そのメカニズムの素晴らしさ、使用法を書いた本の完璧さに打たれ、ドイツの技術と風土に激しい愛着を感じました。しかし、その後、彎曲せずにぽっきり折れるドイツの脆さ、合理主義から神秘主義に、そして一気に自殺に走る(ベルリンには自殺者専用の墓地がある)ドイツの精神的未熟さを冷静に見つめるようになります。人は本当に愛したものだけを憎む、と言ったのはマキャベリだったでしょうか。

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