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2005年6月23日 (木)

ヒメネス『プラテーロとわたし』

 ヒメネスの散文詩『プラテーロとわたし』は「桑の実やカーネーションを、いつもわたしにくれた、ソル通りの、あのかわいそうな狂女、アゲディリア」に捧げられています。作家のジャン・ジオノはこの舞台となったスペインの町モゲールを訪れ、ソル(太陽)通りにその狂った少女を探しにいきます。すると、粗末な家の軒下に、唇を真っ赤に塗ったジプシーの女の子が自分をじっと見つめているのに気づくのです。そうです、このすばらしい作品に登場する病気の犬や、幼くして死ぬ少女や、司祭や、山羊や、悪魔や亡霊まで、みな実在して、モゲールの町の、プラテーロが埋まっている松の木の下のまわりを漂っているのです。
 プラテーロは銀色の綿毛と黒い瞳を持ったロバで、スペインの多くのロバがそうであるように、粗食で辛い労働に堪える辛抱強さをもっています。それに加えてプラテーロは甘ったれで、イチゴやブドウを好み、自分を愛してくれる人に懸命に尽くします。その頃ヒメネスは、精神の病に苦しみ、生家の没落、父母の死別、婚約者の病死などで何度も死を考える青年でした。悲しみに満ちたその瞳は、こうして善良さと素朴さの象徴である一匹のロバに出会ったのです。ヒメネスは帽子をかぶり、黒い服を着て、ロバにのって山野を歩きました、町の子供たちにきちがいと呼ばれながら、、、。モゲールの自然は彼に徐々に精神の均衡を取り戻させていきました。彼はプラテーロに、オレンジの木やザクロの実や沈んでいく夕陽や小川の上にかかる虹について語りかけます。プラテーロは彼にとって、か弱きもの、幼きもの、無垢であるがゆえに傷ついていくもののすべてを表していたのです。
 『プラテーロとわたし』はさまざまな版が出ていますが、私はかわいいイラストの入ったフォア文庫の子供向けの二冊本が気にいっています。

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