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2005年6月22日 (水)

クルーチ『みごとな生命の連鎖』

 私はファーブルの『昆虫記』をほんの少し読んだだけですが、たぶんそれ以上読み続ける時間も気力もないでしょう。昆虫の生活は驚くべきものであり、アリは特別のきのこを栽培し、スズメバチは獲物を麻痺させて生きたまま巣に運びます。ファーブルはそこに神の栄光を見るのですが、彼らの巧妙な生活術はすべて本能にインプットされたものであり、経験に学ぶことなく、ゆえに失敗もしないのです。クルーチはそこには「何か忌まわしくゾッとするもの」があると言っています。「われわれの理解を越え、いや、ほとんどわれわれの共感さえも届かない遥か彼方の宇宙の一部に彼らは属している」そして、「どんなことがあっても、昆虫にはなりたくない。とわれわれは考える」とまで書いています。
 反面、飼いネコは分娩の場所を探して迷ったあげく最悪の場所を選んでしまいます。北米のオオツノヒツジは年に一度の他のオスとの闘いに勝ったあとは気ままに無気力に暮らします。ベニスズメはひたすら鳴き続けます、まるで自分の幸せを宇宙全部に誇示するように、、。彼らは昆虫に比べれば不完全な生物です。彼らは意識し、求愛し、挫折し、歓喜します。そして、無論これこそ彼らがアリに比べ「高等」な生物である所以なのです。
 クルーチ『みごとな生命の連鎖』は1971年みすず科学ライブラリーの一冊として上下二巻の形で世に出、その後1987年に一巻本として再刊されました。著者は英文学者で劇評家、よって、すぐれたアマチュアの精神があります。この本の価値は、自然観察に価値判断をたっぷり織り交ぜたところであり、人間とその生命の意味まで考えてしまっています。同じ著者の『砂漠の歳月』(みすず書房)は最近ほとんどみかけません。
 アリとミツバチの世界には全体主義国家に見られる無慈悲と残忍さが、オオシカとオオツノヒツジの世界にはホメロスの勇士たちの高貴な野蛮さがあります。モンテーニュからディドロそしてルソーにいたるまで称揚され,そして今もなお私たちの憧れはこの bon sauvage にこそあるのです。

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