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2005年6月 5日 (日)

スピルバーグの『A.I』

スピルバーグの『A.I』
 私の家のすぐ近くの図書館に毎週 Paris Match が入ってきます。私はこれを奇貨として、毎週の映画評をコピーして辞書を片手に読んでいるのですが、先日オマール・ネイム監督の Final Cut が載っていました。近未来の話で、人間は生まれるとすぐに頭の中にチップを埋め込まれます。そのチップにはその人間の見たこと聞いたこと、つまり体験したことのすべてが一秒漏らさず全生涯にわたって記録されているのです。ロビン・ウイリアムズ演じる主人公は、葬式の後で、故人の膨大な記録映像から遺族が喜びそうなカットのみを編集する仕事をしているのですが、残念ながらその後の展開はわかりません。
 これを読みながら私は2001年制作のスピルバーグの脚本・監督作『A.I』を思い出しました。この映画は公開当時も今も高い評価を得ていません。しかし、思慮深く、心優しく、傷つきやすい人間を多く描いてきたスピルバーグ作品の中でもとりわけすばらしい映画であると思います。主人公は人工知能を持ったデイビッドという子供のロボットです。デイビッドは購入者である若い母親を愛するようにプログラムされています。ところが、その母親は病院から戻ってきた実の子に情が移って、ついにデイビッドを捨ててしまいます。その瞬間から、人間の子供になってその母親からまた愛されるようになることがデイビットの唯一の望みとなります。だがその望みも空しく、事故で深い海底に閉じ込められたまま何と2000年が経過します。人類は絶滅し、地表は氷河期の厚い氷に覆われています。ここで、高度に進化した異星人が人類の痕跡を求めて地球にやってきます。彼らはDNAから、その人間のすべての記憶を引き出すことができるのですが、デイビッドのために、彼が偶然携えていた母親の毛髪から、一日だけ母親を蘇らせてあげるのです。まさに二人だけの夢のような楽しい一日の最後に、デイビッドは自分が母親から愛されていることを知って深い感動に浸ります。
 映画はここで終わりますが、救いは記憶の実在にあるのです。人間のあらゆる体験のすべてが宇宙のどこかに、あるいは細胞のDNAに細大もらさず記録されていたとするなら、何でもない一日のささやかな行為が、道ばたの蟻に気づいて足をとめた夏の一瞬が蘇るとするなら、それはただ死に向かって進む生にどれだけの救いを与えるでしょうか。ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の有名な一節、世界は成立した事実の集合であるという一節は、とるに足らぬ事実の一つ一つも世界を作り出すということでは等価であり、すべての事実は意味をもつことを私たちに教えています。私はこのことを学生時代、沢田充茂の本で教えられました。

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