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2005年5月 1日 (日)

ユンガー=シュミット往復書簡

 待望のユンガーとシュミットの往復書簡集が邦訳されました。わが国ではユンガーはヨーロッパほど読まれてはいないようですし、カール・シュミットというと、友ー敵概念とか非常時の大権とか紋切り型のイメージしか思い浮かばない人も多いのではないでしょうか。私のささやかな読書経験によると、ユンガーは物事の筋道を精密に辿っていく作家であり、シュミットは凡庸さを嫌う敬虔なカトリックなのです。ユンガーがカール・グスタフ・カールスについて語れば(カールスは天使の羽根が、それが描かれた形では飛ぶ用に適さないと書いているのですが)、シュミットはフランツ・フォン・バーダーについて語ります。そしてこれはどちらも一方通行で、カールスの自然哲学はシュミットの関心をひかず、バーダーの神秘的ロマン主義はユンガーの心を捉えませんでした。
 しかし、この長い文通期間の間、二人が一貫して共有したものが二つあります。その一つは、何とレオン・ブロアへの共感です。まずシュミットがブロアの本をユンガーに教え、ユンガーはブロアの全集にのめりこんでいきます。「薄暗い街路を行くことが私の最良の旅である」とブロアは書きました。ブロアは絶望的な人生のただ中で、自分と時代を切り刻んでいったのです。「起こったことはすべて崇高である」このブロアの言葉はユンガーの生涯のモットーになりました。
もう一つは二人がしばしば自分たちの居場所に仮想したサン・カシアーノです。このマキャベリが隠棲して読書と著述に逃れた場所はまた二人にとっての精神的逃避所となりました。ヨーロッパの最も過酷で残虐な時代のただ中で、マキャベリのサン・カシアーノはこの世を逃れる唯一の標識、粗暴で無知な人間から自分を守るよりどころであったのです。

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