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2005年5月22日 (日)

ブルクハルト『イタリア・ルネサンスの文化』

 ブックオフのよいところは、本に対する思い入れがまったくないことです。本は外観と新しさのみで評価され、定価の半額の値札をつけられ、売れないと100円の棚にまわされます。こうして、書物に値しない本の山が効率的に流通していくのですが、100円にも値しない本はさらに安値で処分されています。ブルクハルト『イタリア・ルネサンスの文化』(中央公論社)を私は50円で手に入れました。低俗さと凡庸さが来るべき時代の文化を支配するだろうと予見し、自分はその滅びさる側でいたいと語ったブルクハルトは、自分の著書が菓子パン一個も買えない値で処分されていることにむしろ誇りを持つのではないでしょうか。
 さて、この書物は私には遠い青春の一冊です。ルネサンスやブルクハルト自身についてはその後わずかながら知見を深めましたが、この本の「個人の発展」や「古代の復活」の章は読み返してみてもやはり興奮します。ブルクハルトは「普遍的な人間」l'uomo universal の出現をルネサンスの本質的な特徴と見ています。偉大なダンテは同時に神学者、哲学者であり、絵も上手く、音楽を聞ける耳もありました。マキャべリが喜劇『マンドラーゴラ』の作者であることはよく知られています。万能芸術家ばかりでなく、万能の人間も出現します。レオン・バッテイスタ・アルベルティはその多方面にわたる才能に加えて、生と自然への深い共感がありました。壮麗な樹木、見事な果実、美しく年老いた老人を見ると彼は涙を流したのです。(これは賀茂真淵が澄んだ秋の空を見て涙を流したことを思い出させます)ニッコロー・ニッコリは全財産を書物に費やし、しかもそれらを人々に貸し出し、それらの書物について誰とも分け隔てなく話し合いました。ウルビーノのフェデリーゴはあまりに有名です。高度に洗練された彼の生涯は人々を愛し愛されることに費やされたのです。
 ところで、ブルクハルトはルネサンスのイタリアはなぜシェイクスピアを生まなかったのかと自問しています。この問いは意外と深い、それは結局のところルネサンスがイタリアの国民性によるのではないのかと私たちに思わせるからです。欲望の凄まじさ、見栄や名誉欲の強さに加えて想像力の役割を彼は強調しています。そのような資質はともかく、ヨーロッパ文化の精華を創りだす使命を指摘されたことで、イタリアは彼に無限の感謝をすべきでしょう。カルロ・アントーニはその『歴史主義から社会学へ』の日本語版への序文で「私の書物は、人間文化の歴史に人間精神の普遍的価値の、そして何よりもまず自由の最高の倫理的価値の、積極的な深化と増大の意味をあたえようと努力したイタリア文化のあの運動の一部をなしている」(鑚井鉄男訳)と書いています。ブルクハルトの書物がなかったらアントーニもこうもはっきりとは書ききれなかったでしょう。

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コメント

はじめまして
この記事を読んで、私もブルクハルト『イタリア・ルネサンスの文化』が読みたくなったので早速近所の図書館へ行き借りてきました。が、見てみると字が細かい上にページ数が1、2巻合わせて800ページ越!!。しかも読んでみると、いろいろな人物がたくさん出てきて、理解するが大変です。貸出期間の2週間で読み終わるか分かりませんが、とりあえず寝る前にでも地道に読んでいきます。
ではでは

投稿: Amazing Grace | 2005年7月21日 (木) 18時56分

Amazing Grace さん、コメントありがとうございます。ブルクハルトの手法はエピソードを数珠のようにからめていくものですから、どこから読んでもいいようです。寝る前に読むのは私も毎日の楽しみです。私の読書法ですが、一冊の書物の中に一つの文章、一つの言葉が強く頭に残ればそれで十分すぎると思っています。
それでは、、毎日暑いですね。

投稿: argus | 2005年7月23日 (土) 12時06分

こんにちは トムです。
新井 靖一 さんの新訳が出たので久々に読み返しました。ブルクハルトは古代から中世、中世から近代への節目を描いたすばらしい作品を残しましたが今、近代が終わろうとしているかも知れない時に私たちは将来に何を残せるのだろうと考えてしまいました。ブルクハルトと知人だったニーチェの言う「末の人間」は現代人の定義かと不気味さすら感じます。
未来人(人類が生き残ったとして)が近代の定義で「末期において市場原理主義を信奉し、大量の守銭奴を生み出した」等と書かれることだけは絶対に避けたいと考えてはいるのですが。
ブルクハルトは幸せ者だったのかも知れませんね。

投稿: トム | 2007年8月 8日 (水) 09時38分

トムさん、こんにちは。
ブルクハルトは『世界史的考察』の中で、「太古の水上生活者が自分の身をかえりみず隣人を助けたとしたら、人類は今に至るまで全く進歩していないのだ」と書いています。人間精神は無限に進歩するという十八世紀的考えがブルクハルトやボードレールのような人間にとって明白に誤りだと考えられたときに初めて文化史というものが彼らにとってかけがえのないものとなったのでしょう。人類はパルテノンや広隆寺弥勒のような美をもはや創造できないかも知れないというより、現実はアウシュビッツや広島やチェルノブイリのような負の遺産によってより強く精神を圧迫されています。確かにブルクハルトの諦念すらも今は幸福な色合いを帯びて感じられます。
それでは、また。コメントありがとうございました。

投稿: saiki | 2007年8月 8日 (水) 23時46分

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