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2005年4月 8日 (金)

エレンブルグのスタンダール論

 本棚から昔買ったエレンブルグの『ふらんすノート』を引っ張り出して読んでみました。この本は15年程前、場末の古本屋で100円で買ったものです。1962年初版の岩波新書ですが、ネットでも全く見かけないのはどうしてでしょうか。内容は訳者の木村浩がエレンブルグのフランス関係の評論集から選んで訳したものです。特に面白かったのは「スタンダールと現代」という評論でした。
 これはエレンブルグがロシアの読者にスタンダールを紹介したもので、彼のスタンダールへの偏愛ぶりがよく出ています。彼はまず、1829年の、つまり、『赤と黒』を出版直前のスタンダールを読者の前に紹介します。それまでに何冊かの本は出していたが、ほとんど無名で(『恋愛論』は10年間で17部しか売れなかった)、肥満した腹と極度に短い足を持ち、金にも名誉にも無縁で、病気がちの体に苦しみながら、一年に六度も自殺を企てた男、それがスタンダールです。
 『赤と黒』が出ても、ゲーテやユゴーやバルザックは正当にそれを評価することはなく、19世紀後半になっても、ゾラやフローベールは彼に冷たい評価を与えています。自分は1935年に読まれるようになるだろう、とスタンダール自身は言いました。現在、スタンダールは19世紀のフランス文学を代表する作家です。「『赤と黒』なくしては自分のささやかな人生さえ考えることが難しい」とエレンブルグは書いています。バルザックやフローベールがこれほどの感動を青年に与えうるでしょうか。
 なぜ、彼はこれほどに現代的なのか、とエレンブルグは読者に問いかけます。理由は彼が職業作家でなかったから、人生を、書くためでなく感動するために生きたからです。その体験はその情熱の激しさゆえに世紀を越えて私たちの心に迫ります。「文体など二義的なものだ」とスタンダールは書いています。人生でたいせつなのは真実であることであって、人間で大切なのは善良であることです。その文体の簡素すぎる潔癖さは彼の胸の鼓動を、感動の震えを私たちに直接伝えるのです。
 歩きながら街路で倒れて死にたい、と彼は思っていました。そして『赤と黒』出版の13年後、彼は街路で倒れて59歳の生涯を閉じました。次の文は彼が「死」について書いたものです。
 「あなた方がローヌ川を下る汽船でサン・テスプリ橋の下を通ったことがあるか私は知らない。それはアヴィニョンの近くにあるのだ。橋をくぐる前は皆恐ろしがって、どうなることかと話し合っている。やがて橋が見え、強い流れが突然汽船をひっつかみ、そして一瞬のうちに橋はもう後だ、、」

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