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2005年4月10日 (日)

フランシス・ベイコン

 アンドリュー・シンクレア著『フランシス・ベイコン』(書肆半日閑)を読みました。イギリス人の描く伝記はたいてい面白いのですが、この本も詳細な資料をもとに最後まで読ませてくれました。何より著者がベイコンの友人でもなんでもないのが良いのです。没後13年のこの画家には、まだ生々しい思い出がまとわりついていて、我こそ理解者、あるいは無二の親友だとかの厚顔な意見がまかりとおっているようなのです。それもこれもベイコンの驚くべき成功がもたらしたものなのです。1992年4月28日、82歳で心臓発作で死んだとき、かれはまさに名声の頂点にいたのです。全時代のイギリス絵画史を通じて最高の画家であることはもちろん、20世紀ではピカソにつぐ、そしてセザンヌを越えた衝撃を与えているのではないでしょうか。
 祖先である思想家フランシス・ベイコンと同様、彼の人生もホモセクシャルを抜きには考えられません。というより、快楽の凄まじいばかりの追求の生涯だったのです。まともな人間の人生など、彼には一日としてなかったでしょう。それでも十分なエネルギーをキャンバスにまさに叩き付けることができました。
 ベイコンの絵は十分に難解だが、しかし共感できるものもあります。人間とはどのようなものであるか、これほどの体験と出来事と歴史を積み重ねてもまだ謎であると思わざるを得ないのですが、その秘密のいくらかをベイコンは垣間見せてくれるようです。マイリンクのゴーレムの中にこんな話がありました。あるとき3人の男が暗闇の国に降りて行って、一人は盲目になり、一人は発狂し、そしてラビのベン・アキバだけが無事に帰ってきて、自分自身に出会ったといったそうです。ベイコンの絵を見るときの戦慄はそれに似ているような気がします。

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2005年4月 8日 (金)

エレンブルグのスタンダール論

 本棚から昔買ったエレンブルグの『ふらんすノート』を引っ張り出して読んでみました。この本は15年程前、場末の古本屋で100円で買ったものです。1962年初版の岩波新書ですが、ネットでも全く見かけないのはどうしてでしょうか。内容は訳者の木村浩がエレンブルグのフランス関係の評論集から選んで訳したものです。特に面白かったのは「スタンダールと現代」という評論でした。
 これはエレンブルグがロシアの読者にスタンダールを紹介したもので、彼のスタンダールへの偏愛ぶりがよく出ています。彼はまず、1829年の、つまり、『赤と黒』を出版直前のスタンダールを読者の前に紹介します。それまでに何冊かの本は出していたが、ほとんど無名で(『恋愛論』は10年間で17部しか売れなかった)、肥満した腹と極度に短い足を持ち、金にも名誉にも無縁で、病気がちの体に苦しみながら、一年に六度も自殺を企てた男、それがスタンダールです。
 『赤と黒』が出ても、ゲーテやユゴーやバルザックは正当にそれを評価することはなく、19世紀後半になっても、ゾラやフローベールは彼に冷たい評価を与えています。自分は1935年に読まれるようになるだろう、とスタンダール自身は言いました。現在、スタンダールは19世紀のフランス文学を代表する作家です。「『赤と黒』なくしては自分のささやかな人生さえ考えることが難しい」とエレンブルグは書いています。バルザックやフローベールがこれほどの感動を青年に与えうるでしょうか。
 なぜ、彼はこれほどに現代的なのか、とエレンブルグは読者に問いかけます。理由は彼が職業作家でなかったから、人生を、書くためでなく感動するために生きたからです。その体験はその情熱の激しさゆえに世紀を越えて私たちの心に迫ります。「文体など二義的なものだ」とスタンダールは書いています。人生でたいせつなのは真実であることであって、人間で大切なのは善良であることです。その文体の簡素すぎる潔癖さは彼の胸の鼓動を、感動の震えを私たちに直接伝えるのです。
 歩きながら街路で倒れて死にたい、と彼は思っていました。そして『赤と黒』出版の13年後、彼は街路で倒れて59歳の生涯を閉じました。次の文は彼が「死」について書いたものです。
 「あなた方がローヌ川を下る汽船でサン・テスプリ橋の下を通ったことがあるか私は知らない。それはアヴィニョンの近くにあるのだ。橋をくぐる前は皆恐ろしがって、どうなることかと話し合っている。やがて橋が見え、強い流れが突然汽船をひっつかみ、そして一瞬のうちに橋はもう後だ、、」

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