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2005年3月25日 (金)

ジョルジュ・サンド『魔の沼』

ジョルジュ・サンド(1804-76)といえば、スピリディオン(Spiridion,1839)について書きたいのですが、それはまた別の機会に譲って、今日は読んだばかりの『魔の沼』(ジョルジュ・サンド セレクション第6巻 藤原書店)について書きます。
『魔の沼』はサンドが幼年時代から多くを過ごし、生涯を通じて愛したフランス中部ベリー地方を舞台に描かれた誠実な農夫と少女の純愛物語です。簡潔な文体、完璧な構成は、いささかも退屈さを感じさせません。まず書き出しがすばらしい。ホルバインの一枚の版画について語りながら、農民の生活への関心を読者に呼び起こし、彼女が知っていたというジェルマンという主人公について聞き語りの手法で物語を進めます。行き違いや障害を越えて結婚にたどり着くと物語は終わりますが、最後の結婚の描写は再びルポルタージュ風に冷静に筆が進められます。読者はベリー地方の習俗の記述のなかに物語の感動から現実にやさしく導かれる心遣いを感じます。
これはメリメの『カルメン』を思わせる手法です。メリメは旅行記の書き出しで、たまたま出会った犯罪者ホセから聞いたという話を書き留めます。そして、激情の物語が終わると、その余韻をゆっくり冷ますようにスペインの習俗について冷静に書き続けていくのです。
ところで、サンドとメリメは一時期交際していました。この二人には職業作家にはないアマチュア(情熱家)の精神があります。自分の最も好きな事柄について物語るとき、人はある恥ずかしさを感じるのではないでしょうか。何かのついでに、さりげなく、もの静かに私たちの前に置かれた贈り物のクッキーをそれは思い起こさせます。バルザックやフローベールにはおそらくなかったもの、そしてスタンダールには確実にあったものもそれなのではないでしょうか。

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2005年3月24日 (木)

中島敦『李陵』

ちくま文庫の中島敦全集(全3巻)を暇なときにぱらぱら読んでいきました。実は今までに『山月記』と『名人伝』しか読んでいなかった!孔子の弟子の子路を描いた『弟子』は途中退屈し、『光と風と夢』や『わが西遊記』はあまり面白いとは思えませんでした。しかし、最高傑作の評価高い『李陵』はさすがに脱帽しました。文体の格調の高さ、抑制された感情、人間洞察の真摯さは凡百の歴史小説を越えています。
中島敦は漢学者の息子として四谷の箪笥町、つまり東京の中心に生まれました。こういう人間が小説家になっても、書くものなぞ何もないのです。声だかに主張したいものなど何もありません。叫ぶことは彼の美意識に反するのです。彼はできるだけ自分を滅却し、2000年前の遥か遠い世界、しかし彼にとっては最も親しく感じられる世界に自分を逃避させます。漢書匈奴伝に記された胡地の風土、それは書物でしか知り得ないが故に、彼には東京の街路より身近なものだったのです。三人の登場人物、李陵、司馬遷、蘇武は、ほとんど無邪気にも彼の分身であり、友人であるのです。自分の最も知悉した世界に遊び、最も好んだ人物たちを描き出すとき、神はこの薄命の作家にその規を越えた援助を与えたのです。

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