2019年8月30日 (金)

真夏の夜のシェイクスピア

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      やや涼しくなりましたが、今年の夏も暑かったですね。熱中症は、即、脳に影響するので、外出はもっぱら夕方過ぎにしていました。転倒には常に注意しているのですが、先日道路を渡るところで縁石につまずいて見事に転倒してしまいました。後ろを歩いていた妻によると、これほど派手な転倒は見たことがない、完全に一回転して植込みの柵にぶつかって止まったそうです。かすり傷で済んだのは柔道の受け身の動作が身についていたからでしょう。ところで、国立博物館で開催されている三国志展に行こうと妻が言うのですが、人混みと行列が嫌いなので断りました。三国志は面白くて、昔、夢中になって読みましたが、関羽が死ぬと急に寂しくなって読む気も失せてきます。子供のとき読んだ岩波少年文庫の『水滸伝』(上中下)を、もう何度目かですが、また読みたくなりました。シェイクスピアの英国歴史物、ジョン王からヘンリー八世まで、も学生の時に熱心に読み込みましたが、また読みたくなって、『リチャード二世』『ヘンリー四世』『ヘンリー五世』を一気に読みました。『リチャード二世』でのリチャード二世の死、『ヘンリー四世』での私の好きなホットスパーの死、そして『ヘンリー五世』での哀切極まるフォルスタッフの死など、シェイクスピアの歴史劇では登場人物は死によってその生涯の最高の高みに至ります。全編を彩る陰惨な戦闘シーンさえも敗者への有り余る敬意によって浄化されるようです。

      英国歴史物ばかりでなく、ローマ歴史物、『ジュリアス・シーザー』『アントニーとクレオパトラ』『コリオレーナス』でも、台詞の緊迫感と格調の高さは変わりません。私は、とくに『アントニーとクレオパトラ』が好きなのですが、謹厳で面白みのないオクテヴィアスに比べてアントニーの激情に満たされた魂は読む者の心を打ちます。彼は一人の女性のために王国を捨てるのです。すでに敗色が濃厚になって、闘将イノバーバスがアントニーを裏切って敵方に寝返ったとき、アントニーはイノバーバスが置いていった貴重品を敵の陣営におくりとどけ、その横にそっと金貨と私信を忍ばせます。そこには、私の至らなさのために裏切らせて悪かった、あなたがもう二度と裏切る主君を持たないよう祈っている、と書いていたのです。イノバーバスがそれを読み激しい後悔と自虐の念で嗚咽したのはいうまでもありません。むろん、アントニーとクレオパトラの恋も忘れてはいけません。クレオパトラの恋は純粋で、その思いは『シンベリン』のイモージェンや『ロメオとジュリエット』のジュリエットのそれと全く遜色ないかそれ以上です。白髪が混じり始めた43歳のアントニーとすでに子供を産んでいた29歳のクレオパトラの「大人の恋」は、アレクサンドリアの美しい夕闇と喧騒の中で静かに燃え上がります。二人は奴隷と女中に身をやつして市内を徘徊し店を冷やかし人びとの家を覗きます。川釣り遊びでは、クレオパトラは水夫を潜らせて、アントニーの釣り針に塩漬けの魚をつけてびっくりさせます。寝室では、クレオパトラはアントニーに自分のティアラとマントをつけさせ、自分は腰にアントニーの名剣フィリパンをつけます。こんな女性を愛さない男がいるでしょうか。二人の最後は哀調の限りをつくします。オクテヴィアスはエジプトの女王の遺骸を先に自害したアントニーの傍らに葬るのです。

       シェイクスピアは喜劇をもっとも多く書いていますが、すべてが傑作というわけではありません。いや、ほとんど破綻しているか破綻寸前といってよいでしょう。筋が複雑で登場人物が多彩、女性はたいてい男装し、不思議なことに見破られることは決してないのです。ところで、30年も前ですが、仕事場の近くで教え子の一人がビデオ店を出していて、仕事の帰りにその店に寄って、毎日アクション映画を「ア」から順番に一本ずつ借りていって全部見たことがあるのです。まあだいたいB級映画なのですが、見慣れるとかなりのめり込んでしまいます。B級アクション映画の特徴は筋が無意味に複雑で、最後は決まってどんでん返しがあることです。A級とB級の違いはシンプルな明晰さを獲得しているかどうかといってもよいでしょう。シェイクスピアの喜劇もこれに似て、入り組んだ恋人たちと脇役たちで頭が混乱します。いや、というより私は多くの喜劇が混じり合って、ほとんど分別できなくなっています。『夏の夜の夢』は妖精の取り違いということで、もう読むのが苦痛になります。『十二夜』は男装のヴァイオラが魅力的だが筋が入り込みすぎる。これと『から騒ぎ』はいつも間違えます。まあ、喜劇の最高傑作は『お気に召すまま』でしょう。ロザリンドの男装、森の中の正義の人士たち、塞ぎ屋malcontent のジェイクイズ、そして、人生を劇場に例える有名な台詞など、実は遥か半世紀もまえに、大学一年の英語の授業で、このDo As You Like を読まされたのですが、オックスフォード帰りのあの気取った英語教師はまだ健在でしょうか。

       さて、しかし、いろいろ不満はありますが、エリザベス朝の他の劇作家たちを読んでから、再びシェイクスピアに戻るとなぜかほっとした穏やかさを感じます。シェイクスピアと並ぶ天才と言われながら29歳で死んだクリストファー・マーロウ、彼の代表作『マルタ島のユダヤ人』の主人公バラバスは、物語の最後に修道院の尼たち全員(自分の娘を含めて)を毒殺し、さらには主要な登場人物のほぼすべてを殺します。ジョン・フォードの『あわれ彼女は娼婦』では、物語全編は兄妹の激しくおぞましい近親姦に彩られています。シェイクスピアにも(『タイタス・アンドロニカス』や『リア王』の一部)残酷な場面はありますが、劇そのものは安定して、狂気の素振りもありません。そこにはシェイクスピア自身の自律的な、また禁欲的な、あるいは堅実すぎる自己抑制の性格があります。

        いわゆる「問題劇」というと、『尺には尺を』が有名ですが、カール・クラウスの『モラルと犯罪』のバックボーンを成すこの作品は、しかし、公爵の不自然な挙動と強引な幕引きで傑作とは言い難い。ただし、修道女見習いのイザベルは『ベニスの商人』のポーシャ並みに魅力があります。

        シェイクスピア晩年のロマンス劇について簡単に書きましょう。四大悲劇を書き終えたシェイクスピアが最後に挑んだのが『ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語』『テンペスト』のロマンス劇(中世のロマンス劇に似た魔術や神々が現れハッピーエンドで終わる)でした。最初の『ペリクリーズ』は合作である上に、場所が地中海の海岸を行ったり来たりするので非常に煩わしい。しかもこの劇には許されざる父娘姦も示されています。白水社『シンベリン』の解説の上野美子氏によるとヒロインのイモージェンに魅惑されたテニスンは、死ぬ際にイモージェンの出てくる頁を開いたまま死んだということです(!)確かに『シンベリン』は洞窟に住む行方不明の王子たち、貞節で美しいイモージェン、ジュピターの声で目を覚まされるポステュマス、悪辣な王妃とその息子の死などロマンス要素がたっぷり詰まった傑作です。ライオネル・トリリングは『冬物語』を理解するためには「あり得そうにないこと」が魂の導き手になるのだ、ということを知る必要がある、といっています。『冬物語』は、間に16年の歳月が横たわっていて、観客は16年前に死んだはずのハーマイオニーが、生きた人形さながらに舞台の上で蘇生するのを目の当たりにします。そんなことはありえない。そんなことがあり得るとしたら、同じ16年前に冬物語を母親に語ろうとして果たせずに死んだ幼いマミリアスはなぜ蘇って来ないのか。つまり、『冬物語』全体はマミリアスが語ろうとしてできなかった物語そのものではないのでしょうか。

       シェイクスピアのすべての劇で、もっとも良く出来ていて、批判を許さないのは『ロミオとジュリエット』でしょう。もっとも面白いのは『冬物語』で、もっとも考えさせるのは『ハムレット』です。

 

         ここで、シェイクスピアの歴史的背景について調べてみましょう。書庫の隅っこに昔買ったJ. アクセルラ、M. ウィレムの『シェイクスピアとエリザベス朝演劇』(文庫クセジュ・小津次郎、武井ナヲエ共訳)がありました。フランス人学者の書くシェイクスピアとは、さてどのようなものでしょうか。

          「演劇は16世紀の後半、ならびに17世紀前半にイギリス人の嗜好に叶った一つの文学形式であった。」それはなぜでしょうか。すでに長い歴史を持つイギリスは、ほとんど三世紀近くを間断ない戦争のうちに過ごしてきました。14世紀、エドワード三世のフランスでの輝かしい勝利の後で、リチャード二世の悲劇、その王位を簒奪したことで罪の自覚に悩まされたヘンリー四世、その息子ヘンリー五世は再びイギリスに栄光を取り戻したが、彼はあまりに早く二十代半ばで亡くなってしまった。残されたのは9ヶ月の赤ん坊で、イギリスは国内では薔薇戦争の長い苦悩を味わい、国外ではオレルアンの素朴な一少女によって散々苦しめられました。悪名高いリチャード三世がボズワースで斃れ、待ちに待った平和がチューダー新王朝ヘンリー七世によってもたらされたのですが、それは一休止にすぎず、ヘンリー八世とエドワード六世そして「血塗られたメアリー」ことメアリー一世の時代は宗教的迫害の時代でした。カトリックであったメアリー一世は300人のプロテスタントを処刑しましたが、この残忍凶暴なニ世紀は人々の心に強く印象付けられました。

      1558年のエリザベス一世の即位で迫害の時代は終わり、平和がもたらされたのですが、日夜血生臭い事件を見聞きすることで鍛えあげられた強靭な精神はイギリスの国民性に抜きがたい性格を与えたのです。1576年にロンドン北郊にはじめて常設の劇場が現れたとき、そこに集まった観客はこのような人たちでした。彼らは市民、商店主、水夫、兵士、職人、貴族、半分浮浪者のような人々で、貴族たちは桟敷席を占め、平土間は騒々しく悪臭を放つ興奮した群衆で埋め尽くされていました。

        「この雑多で口達者な群衆こそ、その国家を象徴するものである。彼らは粗野で、じっとしていることを嫌い、そして大騒ぎや熱狂を激しく求めていた。荒々しいことも血も彼らを怖れさせることはない。畳の上で死ねないことがあたり前であることをよく知っていたからである。彼らが日常見ていたこと、親や祖父母たちが二世紀の間眺め続けてきたことがそれを教えたのであった。」

       といっても、彼らが手のつけようもなく粗野であったというわけではありません。何よりもこの群衆は若々しく、新鮮で素直であって、懐疑的で無感動な群衆とは対極をなすものでした。彼らは提供されるものは何でも受け入れようとする姿勢ができていましたし、劇の良し悪しを見分ける厳しい審美感もありました。演劇史上これほど若々しく新鮮な感受性を持った観客を対象にすることができた劇作家たちは稀でしょう。

        それではエリザベス朝演劇の作家たちはどのような人種だったのでしょうか。まず、彼らは大学人でした。クリストファー・マーロウはケンブリッジの、ロバート・グリーンは二つの大学の学位を、そしてベン・ジョンソンは自他ともに許す当代きっての知識人でした。彼らはラテン語を解し、セネカの悲劇を研究し、日夜酒場で演劇論にあけくれ、いかにして観客を喜ばすかに腐心していたのです。ところで、そのような議論には入れず、だが熱心に聞き耳をたてている一人の青年がいました。ラテン語は田舎の町営の文法学校で習っただけで、知識を増やすために猛烈な読書を続けていた青年、もちろん彼がウィリアム・シェイクスピアです。彼は、他の大学人の劇作家と違って、役者をしながら舞台の上で必要な多くのことを学んだのです。彼は書斎人よりもはるかに、観衆の心をつかむコツや、当たる劇とはどういうものか、を身につけていました。

          彼は、まず、『ヘンリー六世』で大々的な成功を収めました。シェイクスピアは、1588年のスペイン無敵艦隊の打破に象徴された国民の自尊心の高まりをうまく利用したのです。エリザベス朝はある種特異な政治形態を持っていて、官僚政治も常備軍も警察力もなしに、きわめて強力な政体を設立していました。この政府は、すぐれた人物たちに人民が寄せる尊敬の念によって、純粋にただそれだけで維持されていたのです。その尊敬には、テューダー王家がもたらした国内平和と社会の平安に対する感謝の念も混じっていたはずです。これらすべてが新興国としてのイギリス国民の自尊心につながっていたのです。

          シェイクスピアは、次に喜劇でも成功を収めました。群衆は、喜劇では、あまりありそうもないこと、美青年が悪者の奸計を巧みにかわして最後は美しい娘と結婚するとか、処女が男装して恋人を助けるとか、を現実を離れて楽しむことができました。芝居の約束事をよく知っていたからです。驚くことにエリザベス朝の観客は、悲劇も、ハムレットの悩みもブルータスの逡巡も、我が事のように感じることができたようです。時代とともに発達した自意識は、神やスコラ的な桎梏から離れて、自らを運命を切り開くものと自覚しだしたからでしょう。

        1600年から1607年にかけて、シェイクスピアは、その後彼の不動の名声の基になった四つの悲劇を完成させます。年代順に見て行きましょう。まず『ハムレット』です。これは、当時人気のあった復讐劇の一種で、殺された父親の亡霊、墓地の場面、黒衣の復讐者ハムレット、兄王を殺し、その王妃と結婚し、邪魔者のハムレットを亡き者にしようと企てるクローディアス、と復讐劇のお決まりの設定はそろっています。殺人、自殺、また殺人、、、と観客の期待する場面にも事欠きません。しかし、数多ある復讐劇の中で『ハムレット』だけが今なお上演され、論じられるのはなぜでしょうか。ハムレットは最初の独白で、人生と人間に対する嫌悪を示しています。そして、これが生来の彼の性格なのです。この人間が、父王の暗殺、母の不貞という現実に直面して、その性格はさらに歪み、突出してきます。オフィーリアに対する冷酷さ、母に対する苛酷さ、ローゼンクランツとギルデンスターンを簡単に死地に追いやる無慈悲さ、クローディアスの魂が確実に地獄に落ちるように、祈っているときには殺さない残忍さ、などなどハムレットの隠された残酷さが、よくある復讐劇とは違った不気味さを感じさせるのです。このことは、彼が復讐というものに何か嫌悪に似たものを感じていたかのような感じを与えます。シェイクスピアがハムレットに与えようとした人物像は、まさにこれで、彼を紋切り型の復讐者でなく、複雑な、芝居が終わった後にもなお考えてしまう矛盾せる憂鬱者として提示したかったからに他なりません。ハムレットは行動し、なおかつ、自分の行動を客観的に見つめる視点を持っています。いわばシェイクスピアによく登場する道化の役割を彼自身演じているわけです。悲劇の中のこの一種の喜劇性が観客のハムレットへの感情移入を助けるのです。

       1604年に書かれた『オセロー』は恐ろしい幻滅に襲われる高潔な主人公という主題を再び取り上げました。自らの力で地位を築きあげたオセローは、何一つ怖れるものはないはずです。ところが、彼の生き生きした想像力がイアーゴの奸計により肥大化し、極度の妄想となり、目の前に示された妻のイチゴ模様のハンカチでついに激発してしまうのです。愚かといえば愚かですが、嫉妬に狂った自分の愚かさをはっきりと自覚し、泣き言一つ言わず自害していくオセローはシェイクスピアの歴史劇の主人公たちと同じく観るものを感動させるのです。

        『リア王』は、冒頭で読む者の心を萎えさせます。リア王があまりに馬鹿だからで、20年ほどその成長を見守ってきた三人の娘の性格をまるでわかってなく、領地分譲の際、数分のプレゼンテーションだけで、親孝行で誠実だがそれゆえに正直な末の娘には何もやらず、巧言で狡猾な二人の姉に領地のすべてを与えてしまいます。まさに自業自得を絵に描いたような馬鹿で、冷酷な娘たちに捨てられ、住むところを追い出され、荒野をさまようのも致し方ないと思えるほどです。リアは荒野で苦悩の果てに狂気に陥り、そして真実に目覚めます。これは狂気と智恵と再生の物語であり、ほとんどの人物は死んでしまうが、希望の物語でもあります。劇中ただ一人の賢者は道化で、彼は道化であると同時に悲劇の預言者であり、またリアおよび観客を狂気から智恵へと導く案内者でもあります。

       悲劇の最後を飾る『マクベス』ですが、二日でここまで書いてさすがに疲れて来ました。この、シェイクスピアでもっとも短い悲劇は一切の余分を排した傑作ですが、またいつか書きましょう。そして、またまた『テンペスト(あらし)』についても書き忘れたことに今気づきました。シェイクスピア最後の作品であり、それにふさわしい作品です。プロスペローが魔術の本を捨て去るとき、私たちもやっと37編の魔術の宝箱を閉じるのです。この作品についてもまたいつか書いてみたいと思います。

       しかし、一つのことは言及しておきましょう。エリザベス朝からジェイムズ一世に至る、つまり1580~1642年の約60年間に、なぜかくも多くの才能が輩出したのでしょうか。それはラファエロ、レオナルド、ミケランジェロが同時代に活躍したルネサンスにも匹敵します。エリザベス朝演劇の盛期は短く、1642年の清教徒による劇場閉鎖令の前にもその水脈はほぼ涸れていました。それ以降現代まで、イギリス演劇はシェイクスピアの時代の二流の劇作家に匹敵するものさえ出していないのです。

      最後に、ジョン・マッデン監督の1988年の映画『恋に落ちたシェイクスピア』について書きましょう。この映画を観ると1593年当時の劇場の雰囲気がよくわかります。木造三階建の丸い劇場で、舞台のすぐ近くまで観客が詰めていました。舞台背景はほとんどなく、ただ俳優の衣装はかなり凝っていました。常設の劇場が出来てからは常に新作を世に出す必要があって、シェイクスピアは年に二作以上のペースで書いていたそうです。当時の劇作家が若くして喧嘩や酒で身をもちくずしたが、作家、俳優、劇団の株主であったシェイクスピアは、十分すぎる家産を残して52歳で故郷のストラトフォード・アポン・エイヴォンで、おそらく腸チフスで死んだようです。映画はうろ覚えで、間違っているかも知れませんが、映画の最後に『ロミオとジュリエットの悲劇』を上演の際、前口上を述べた役者は「どもりのヘミングス」と言われたジョン・ヘミングスではないでしょうか。映画では緊張して、なかなか声が出ず、シェイクスピアをはらはらさせるのですが、やっと声が出ると流れるような堂々とした語りで、シェイクスピアに「上出来だ」と言わせるのです。このジョン・ヘミングスはシェイクスピアの死後、やはり映画に出ていた同僚のへンリー・コンデルと共同して、最初のシェイクスピア全集を発行したのですが、これによって『あらし』をふくむ18編が散佚を免れて後世に残ることが出来たのです。このファースト・フォリオと言われる全集は世界で最も貴重な書物の一つで、完本は20冊しか発見されていません。

 

       

 

      

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