茶泥週報(2)
先日のニュースで『千夜千冊』の松岡正剛が亡くなったことを知りました。私は、この人は、もう少し評価されてもよかったのではないかと思います。というのも、一日一冊ずつ、しかも克明に紹介していくなど、酔狂ではできない荒業で、それを20年も続けるのは、今後も余人には真似のできないことでしょう。ところが、我が国では、このような知の惑溺、いわば衒学といったものを軽く見る傾向があり、言ってみれば、50もの国を旅したバックパッカーを見るような目で、驚きつつも、浅見に決まっていると冷笑する顔も想像できるのです。
ところで、最近出たピーター•バークの『博学者ー知の巨人たちの歴史ーレオナルド•ダ•ヴィンチからスーザン•ソンタグまで』(左右社)という本は、まだ読んでいないのですが、新聞に載った書評をさらっと読むと、かつて盛名をはせた博学者たちも、近代以降の情報過多の時代になって、その存在意義は薄れていたが、何と、現代のネット隆盛の時代に、専門化し過ぎた知識の硬直を劇的に解きほぐす役割が、俄然、博学者に与えられて来たとのことです。
松岡正剛は九段高校出身ですが、九段高校は、昔の東京市立一中で、100年の歴史を持つ伝統校で、私の高校の柔道部と毎年交流試合を行っており、一度、飯田橋駅から坂を降りて行って、靖国神社裏にある古色を帯びた校舎に乗り込んだことがあります。玄関の古びた階段の下に九段高校の柔道部員が整列して私たちを迎えてくれていた光景がセピア色の写真のように私の思い出の中に貼り付いています。
さて、今年の夏の暑さは耐え難く、もしクーラーがなかったら私など3回は死んでいたことでしょう。病院の診察以外は外に出られず、趣味の古本屋巡りもできません。それで、図書館で、読みたかったドキュメンタリー、もしくはルポルタージュ本をまとめて予約しましたが、人気のある本は順番待ちでなかなか回ってこない。やっと手にできた本を何冊か紹介しましょう。
『死に山』(2018河出書房新社•去年文庫になったらしい)副題に、「世界一不気味な遭難事故•ディアトロフ峠事件の真相」とあります。著者のドニー•アイカーは米国の映像ドキュメンタリー作家。徐々に「真相」に迫っていくミステリー仕立てで、むろんネタバレは禁止ですが、分厚い本にもかかわらず、面白くて最後まで手から離せませんでした。事件のことは、たぶんよく知られていると思いますが、概要を書きましょう。
1959年2月、ウラル工科大学の学生を中心としたトレッキングのチーム9名(うち女性2名)が、ウラル山脈のオトルテン山の登頂を企てたが、行方不明になり、その後9人全員の遺体が発見された。死因は6人が低体温症、3人は裂傷や打撲傷があり、不思議なことに、マイナス30度の吹雪の中であるのに靴も履かず、衣服も薄着のまま(一人は裸)だった。さらに、舌や眼球が損失した者、放射能を帯びた衣服を身につけているものがいた。近くに残された彼らのテントは内側から切り裂かれた跡があったがほぼ無傷で、ブーツやスキーやリュックなどはきちんと並べられてあった。明らかに、何か突発的なことが起こり、全員が慌ててテントを脱出して暗闇と吹雪の中で道に迷い死んだと思われた。
このトレッキング•チームは、学内でも経験と技倆から最優秀とみなされており、今回の冬のオトルテン山登頂も、卒業を控えて、トレッキングの最上級の指導者資格を得るため敢えて難関コースを選んだが、周囲の誰も失敗するとは思っていなかった。消息不明になったので、捜索隊が赴いたが、同年5月に最後の遺体が発見され、原因不明なれど、その月のうちに「未知の不可抗力による事故」として捜査は終了した。共産国のため、情報は開示されず、ようやく2000年代に入って西側の人々も事件を知ることとなり、一躍その謎めいた顛末に注目が集まった。
以上が事件のあらましですが、著者のドニー•アイカーもネット•サーフィンしているうちにこの事件を知り、最初は仕事のネタ探しと思いながら、ついには純粋な興味本位で、のめり込んで行きました。いろいろな憶測があり、UFO及びエイリアン説、土地の部族襲撃説、武装集団説、兵器実験説、雪崩説、強風説、猛獣襲撃説、軍の機密行動説などなど、アイカーは、これらの説の主唱者の誰もが、直接遭難した現地に行っていないことに気付きました。それで、意を決して、2012~13年にかけて二度ロシアに出向いて、まだ生存する関係者に会い、遭難したチームと同じ日程、同じルートを通って、現場にその足で立ちました。マイナス30度の厳寒、学生たちがスキーで通ったルートをスノーモービルで何時間もかけて踏破して、やっと着いたのです。
その後、アイカーは米国に帰り、集めた資料•地図•写真を再点検して、ついに辿り着いた「結論」を本にして刊行します。53年前の1959年の事件の推移と、2012年の現代の探索が交互に書かれて、読者を次第に「死の山」に引き摺り込んでいく筆致は見事です。学生たちの行程が、トレッキング指導者資格の取得のため、写真と日誌で詳しく残されていたことも幸運でした。
しかし、私がもっとも興味をもって読んだのは、その時代のソ連の若者たちの生活風景です。1953年のスターリンの死と1956年のフルシチョフによるスターリン批判によって、ソ連を覆っていた重苦しい空気は去り、とくに若者たちの間に自由の清新な風を吹き込みました。1959年の学生は、自分たちの未来に明るい希望を見出していたのです。彼らは、工学に、建築に、応用化学に、教職に就くべく熱心に勉強しました。合間には、歌を歌い、楽器を奏で、詩を朗読します。歌詞はたいてい過激なので、当局に疑われぬよう彼らはほとんど全て暗唱していたのです。
そのような気晴らしの中でも、トレッキングは彼ら学生の最高の楽しみの一つでした。計画し、準備し、より困難なルートに挑戦する。それは自分との戦いであり、仲間と励まし合い、友情を培う貴重な機会でもありました。とくに女性は、トレッキングでは男子と全く対等であり、それは共産主義青年団の志操とも一致していたのです。無線工学を学ぶジーナは、常に明るく元気で、大事なチームの日誌を事細かにつけていました。もう一人の女性リュダは最年少の20歳で、チームのお金を防水の缶に入れて管理していました。彼女は、我慢強く、以前のトレッキングでは、足の負傷に耐え、80キロを歩き抜きました。チームのリーダーは、23歳のイーゴリ•ディアトロフで、経験豊富で何でも知っており、誰もが彼と一緒にチームを組みたいと思っていたのですが、そのためには、自分がそれに相応しい人間であることを示さねばなりませんでした。
この学生たちは、家具といえるようなものはほとんどない学生寮に住み、貧乏そのものでしたが、自信と希望に満ち、生真面目な生活を送っていたのです。出発の日、彼らはエカテリンベルクの駅から三等車に乗り込み、わざと2枚少ない切符を買って、車掌が検察に来ると、女性二人が木製の座席の下に隠れるのです。車掌が去ると、マンドリンを鳴らして皆で疲れるまで歌を歌います。彼らの間には、浮ついた男女交際などなく、イーゴリ•ディアトロフの遺体のポケットの中からジーナの写真が出てきたことは皆を驚かせました。
次の本は、これも有名な『ピダハン』(2012 みすず書房)です。予約してから3週間経って、やっと読むことができました。著者は伝道師兼言語学者のダニエル•P•エヴェレットで、アマゾンの奥地に住むピダハン族の言語を研究するため、家族ともども断続的に30年以上にわたって共に暮らした記録です。家族がマラリアに罹って、ボートでアマゾンの支流を下り、病院まで辿り着く決死の道のり、ピダハンの文化と言語を理解する毎に覚える驚き、など前半はページを捲るのももどかしい面白さ。後半は、ピダハン語の分析からチョムスキー理論の批判へと展開するやや難解で退屈。チョムスキーあるいは言語の起源論は、いくらか神秘主義がかって嫌いではないが、それはまた別の機会に。最後の章は、何と、キリスト教を捨て、無神論になり、家族も崩壊するという意想外の終わり方です。
現代文明と全く異質なピダハン文化は、今や、いろいろな場所、機会、本、で紹介されており、屋上屋を架す愚は避けたいものの、そのような文化を持つ部族が存在することは、私たちの社会(高度な文明と煩雑な人間関係をもった社会)の中で生き辛さを感じている傷つきやすい人たちには救いになるだろうと思います。いじめ、モラハラ、パワハラなど現代社会を象徴する忌まわしいものはピダハンにはありません。
ピダハン文化を一口に言うなら、「自分さえ良ければよい」ということで、ピダハン語には「ありがとう」という言葉さえありません。人は人、自分は自分で、妬んだり、蔑んだり、憧れたりもしません。食べたいときに食べ、寝たいときに寝、狩りや採集も気の向いたときにします。その場にあるものは全部食べ、食物の保存はしません。努力、計画など全く無く、無理して覚えたり、身につけたりもしません。エヴェレットの娘は、当初、ピダハンと距離をとっていたが、次第にピダハンが好きになり、ピダハンの女の子と一緒に遊ぶようになりました。
ところで、私が『ピダハン』で印象に残ったのは、ピダハンの非暴力性です。ピダハンは喧嘩を好まない、というより喧嘩はしないのですが、人生で喧嘩や戦争は不可避であると考えていた私から考えるとちょっと驚きでした。ホッブズ流に、人間の敵は人間という考えで、「戦争反対」などを主張する人間を愚かと見下していました。戦争自体は良くも悪くもない、それは人間にとって自然なことだと考えてきました。これは、昔から観てきたハリウッドの西部劇や戦争映画の影響もあるかもしれません。ところが、ピダハンはそうは考えない。こういうエピソードがあります。エヴェレットが懇意にしているピダハンの男の家に行くと、男は外出中だった。家には、その男の弟がいて、酒を飲んで酔っ払っていた(アマゾン川を上ってきた悪徳商人がピダハンに交易の代金として与える安酒で)。近くに男がかわいがっている犬がいてキャンキャン吠えていた。酔っ払った弟は、うるさい、と何度も言ったが犬は泣き止まない。弟は奥から商人から交換した猟銃を持ち出して犬に発射した。犬は1メートルも飛び上がって、裂けた腹から内臓が飛び出した。やがて、外出から男が戻って来て、死んだ犬を見つけて、抱きしめながら泣いた。エヴェレットは、男に、弟の始末をどうするか聞いたところ、男は「何もしないよ、弟は酔っ払っていたんだから」と答えた。福音書にも観られる応報論理の否定ですが、私はこれを読んで深く考えさせられました。
次に読んだのは森鴎外の『堺事件』で、妻が青空文庫で読んでいたので、私もついでに読ませてもらいました。『高瀬舟』や『最後の一句』のような思わせぶりの小説よりも、この作品の方が学校教科書に載せるのに適していると思うのですが、、、まず、要約してみましょう。
1868年2月、将軍慶喜が海路江戸に逃げ帰って、直轄地である堺も役人が四散し、治安維持のため土佐藩から六番歩兵隊と八番歩兵隊が遣わされた。2月15日、フランスの軍艦が堺に停泊し、フランス人水兵が市中に上陸し、神社仏閣を無遠慮に荒らし、民間の住宅に勝手に入って女性をからかったりした。市民の通報で土佐の歩兵隊が繰り出したが、通訳がいないので、意が通ぜず、仕方なく取り押さえ番所に連行しようとしたが抵抗され、そのうちの一人が番所に掛けてあった隊旗を取って逃げ出した。歩兵隊に足の速いものがいて、端艇(はしけ)に逃げようとするフランス兵に追いつき鳶口で頭を打つと、フランス兵はどうと仰向けに倒れた。すると端艇にいたフランス兵たちがパンパンと短銃を撃ってきた。土佐歩兵隊74名も応戦して端艇に一斉射撃した。結果、端艇の上、海中などで、フランス兵11名が死亡。フランス公使が直ちに抗議して、隊長含む歩兵隊20人を処刑、かつ死んだ水兵の遺族に16万ドルの慰謝料を要求した。維新直後の不安な状況、彼我の軍の力量差もあり、新政府はこれに応じ、2月22日、大阪妙国寺にて切腹が決まった。当日、フランス公使とフランス兵20余人、日本新政府の重役らが見守る中、最初に六番歩兵隊長箕浦猪之吉が切腹の座に上がった。箕浦は、雷の如き大音量で「フランス人共、よく聞け! 己は汝等(うぬら)のためには死なぬ。皇国のために死ぬのだ。よく見ておけ!」と言い、服をくつろげ直ちに短刀で左脇腹を刺し、三寸切り下げ、次いで横に右脇腹まで切り、三寸上げた。そして腸間膜を引っ張り出してフランス兵を睨みつけた。介錯人の馬場が頸を切ったが切り落とせず、箕浦は大声で「馬場くん、落ち着け!」と叫んだ。馬場は三度目にやっと箕浦の首を切り落とした。これを見たフランス公使ほかの狼狽甚だしく、次々と敢然と切腹する図に恐慌極まって、ついにフランス人死者と同じ11人が終わったところで中止させた。
ハラキリもカミカゼ同様日本人の異常性をよく表していますが、パリ五輪の柔道会場で日本男子柔道選手が審判への抗議で切腹のパフォーマンスをするべきだったのでは、とも思いました。
最初の話題に戻って、私は博学者はむろん、衒学者も物知りも書痴も嫌いではありません。最近、『ダーウィン』(鈴木紀之 中公新書)を図書館の新刊図書の棚から借りて読んだのですが、若い頃の写真を見ると、悪役顔で、学生時代失恋続きであったことも了解できるのですが、その生物全般に対する興味の強さは、まさに驚異そのものです。裕福な家に生まれたこと、英国と時代全体が博物学に強い関心を持っていたこともあるが、やはり好奇心と探究心が並でなかったのです。息子の書いた『チャールズ•ダーウィン』(岩波文庫)によれば、子供の時は吃音で、wで始まる語が出てこなかった。心ない知人に white wine と言えたら6ペンスあげると言われたが、ライトラインとしか言えなかった。しかし、そんなハンディも生物への興味で消し飛んでしまった。だから、何かに夢中になることは救いなのです。今月、市川にサカナくんが講演に来ました。のん主演の映画(『サカナの子』)も観ましたが、こういう人は本当に強い。
さて、博学者というと、フンボルト(弟)の名がよく上がりますが、私は、ジョセフ•P•ニーダムの名を挙げたい。37歳で研究室の中国人から中国の過去の文明の話を聞いて、漢字を習い始め、記念すべき大著『中国の科学と文明』を書き上げました。フランシス•ベーコンは、人類の三大発明として紙と印刷術、火薬、磁石羅針盤をあげていますが、それらが全て中国由来であることを証明したのはニーダムです。
ところで、最近NHKの朝ドラが面白くないので、夕食時にはアマプラで中国の連続ドラマ『三体』を観ています。先端科学が多く紹介されているのですが、今のところ、日本の科学も科学者もその片鱗すら出てきません。昔のインターネット初期の中国科学が馬鹿にされた頃と比べると雲泥の差で、何とも悲しくなります。『三体』は遠くの異星人の侵略の話ですが、先ほど紹介した鈴木紀之の『ダーウィン』の中で、DNAのような極めて複雑な構造を生み出せる地球外生命体などあり得ないだろう、と書いてありましたが、そうでしょうか。広い宇宙には、規矩を超えたとんでもない連中がいて、わずかの電波も感知して、地球を監視しているかもしれません。まさにノージックの言うように、人類の運命は異星人に食われることにあるのかも知れないのです。トンデモな話で終わって申し訳ない。
『死に山』実は題名が大きなヒントです。
『ピダハン』死ぬ前にこの本に出会えて幸運でした。
サーディ。猫用テントにぬいぐるみを引っ張り込もうとしている。
マタタビを塗った枝で遊ぶサーディ。
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