2018年5月31日 (木)

藤原保信『ヘーゲル政治哲学講義』(2)


退院して約5ヶ月、徐々に体力も回復して、今は週に2、3回、仕事を始めています。途中で中断していたブログ記事がいくつもあって、気になっているので、少しずつ再開していくつもりです。
まず、藤原保信の『ヘーゲル政治哲学講義ー人倫の再興』(1982御茶の水書房)の続きから。この本は、以下の4章から成っています。
1、初期ヘーゲルー人倫の発見
2、『精神現象学』ー人倫の再興
3、『法の哲学』ー人倫の体系
4、結論ーヘーゲルと現代

(1)では総論としてリバタリアニズムやコミニュタリズムについて書きましたが、いよいよ本題に入ります。まず、初期ヘーゲルー人倫の発見、から。
ところで、「大病」というほどではないが、一人暮らしであったら確実に死んでいたであろう病気を経験して、さすがに私もいろいろ考えを深めました。まず、平凡ですが、命の大切さ、普段の日常の生活の懐かしさ、身の周りの人や動物(つまり妻や猫ですが)の愛おしさ、などです。つぎに時間の加速度的な収縮と言いましょうか、ドップラー効果ではないが、過ぎ去ってゆくもののあまりの速さ、退院して家の書庫に入ると、積み重なった書物の虚しさに圧倒され、もはやほとんどの本は読まずに死ぬのだという思いに胸は塞がります。私の人生とは何だったのか、私の生きた世界はこれ以外にあり得なかったのか、人生と世界の秘密はまだほんの端緒すら、自分に開示されていないのに。

18世紀から19世紀初頭にかけてのドイツ観念論は、人間と世界についての、ギリシア哲学に比すべき壮大なヴィジョンを提示しました。なかんずく、カントとヘーゲルは蒼天に並ぶ二つ星であり、汲みせぬ豊穣な泉でした。とくに初期のヘーゲルには、後にその中心から離れていった人倫についての鋭い考察があります。

まず、「人倫」という言葉から。普通は「人と人との間の道徳的秩序」を表すのですが、ヘーゲルの用語では(《大辞林》の記述によれば)「理性的意志が客観化された形態で、家族・市民社会・国家として現れる。偶有的諸個人の実体性・普遍的本質であり、主観的な道徳性に対立する」ということだそうです。藤原保信の解説によると、それは「各人の精神が自立的でありながら、しかも孤立的ではなく、他者との絶対的統一を確信し、まさに他者との関係のうちにーあるいは他者の自己意識のうちにーおのれの真実体を得ているような人間の結合の仕方」ということになります。つまり、一人はみんなであり、みんなは一人であるような「人格相互の共同体」を表しているのです。

このような人間像をアリストテレスは〈ゾーン・ポリティコン〉ポリス的動物と呼んだのですが、ヘーゲルが「人倫の王国」を表象するにあたってモデルにしたのは、まさにそれに他なりません。すべての市民が公的決定に参加し、公的目的をおのれの目的とした古代ギリシアのポリス的結合はヘーゲルの理想そのものでした。また、古代ギリシアにあっては、道徳性と合法性の区別はなく、国家は単に法的に正しい事柄のみではなく、道徳的に善きことをも命じうるのであり、プラトン『国家』の最終巻は、正しい人間がまた幸福な人間でもあるという証明に捧げられているのですが、まさに、そのことを成り立たせる基盤こそポリスであったのです。

しかし、このようなポリス的な人倫の観念は、マキャベリに始まる近代政治哲学において、たんなる幻想として退けられ、完全に拒否されていきました。ホッブズは『市民論』で、ギリシア人のゾーン・ポリティコンを、まったくの虚偽の公理であり、人間性をあまりにも皮相的にしか考察しないところに由来する誤りである、と断じました。人間は、欲求を求め嫌悪を逃れながら、それによって自己保存を図っていく徹底的にエゴセントリックな存在で、彼らが社会を求めるとしたら、それは「名誉」や「利益」を得るためであってそれ以外の何ものでもない、つまり、文字通り「万人に対する万人 の戦争」こそ人間の状態である、と。

ホッブズは、この理論を、イギリスの内乱に触発され、近代自然科学の勃興に依拠しながら組み立てていきました。この理論は、自由で平等な近代的な個を析出しながら、権利と義務の体系を市民社会的に組み換えるという意味を持っていたのです。ここで市民社会というのは、のちにヘーゲルが「欲求の体系」という言葉によって表現した社会、私有財産所有者としての自由な個人が、市場を媒介として相互に関係しあう社会、すなわち資本主義を母体とする社会でした。

しかし、ホッブズのラディカルな思考の革命を、具体的、現実的に政治的帰結にまで引き延ばしていったのはロックだったので、その意味で彼こそ名実ともに市民革命のイデオローグと言ってよいでしょう。ヘーゲルの政治哲学の最後のアウトラインも、いや、現代の立憲的な議会体制の原型も驚くほどロックの理論から離れてはいないのです。ホッブズが最悪の自然状態(万人の万人に対する戦い)を回避するために主権を絶対的に不可分なものとしたのに対して、ロックは自然状態であっても、一定の自己規制能力を示す自律的人間を出発点としました。(私は近頃はロックを再確認し読み直そうと思っています)

ところが、ロックにあっても、考え方の根本は、ホッブズと同じく、快楽を善とし苦痛を悪とするブルジョア的人間観でした。それゆえに、国家が保護するものは諸個人の生命・自由・財産以外のものではなく、「欲望の体系」としての資本主義に容易に収斂していくものだったのです。この個人主義のダイナミズムは、多数決原理を根底に据えて、議会主権、法の支配、権力の分立、抵抗権など今に至る見事な立憲民主体制を作り出していく基となりました。むろん、商品交換を法則的に把握しようとする古典派経済学がその強靭なバックボーンになったのは間違いありません。

ロックに至って、どれほどポリス的人倫の理想から離れて行ってしまったことでしょうか。道徳は法律と分離し、正しくあることと幸福であることは全くの別物と考えられるようになったのです。ヴィンケルマン以来のギリシア世界への憧れとその消失は18世紀の西欧知識人の消されることのないスティグマと言えましょう。この苦悩を担い、近代の「欲求の体系」としそれによって生み出される商品世界に風穴を空けたのはルソーでした。カントやヘーゲルが熟読し、ロベスピエールやシャトーブリアンが熱狂したルソーは、ポリス的理想を近代の合理主義を通過した人為の力で復興しようとしたのです。彼はホッブズの「自然状態」の人間は、現在の人間のねじまがった情念をそのまま持ち込んで措定したものだと糾弾しました。ルソーの考えは次のようなものです。(私は以前ほどルソーに対しても批判的ではなくなりました。)

ルソーによれば、自然状態は自己保存の本能としての自己愛 amour de soi と憐憫 pitié が調和をたもっていた自由で平和な世界だった。しかし、道具の発見、冶金・農業の発達による生産力の増大が、私有と富の不平等を生み出し、それによってもたらされる余暇の増大が、人びとに欲望を植え付け、虚栄心 amour propre を生み出した。そして、欲望の拡大がさらなる生産力の拡大を生み出し、生産力の増大がさらなる欲望を刺激するという悪循環の展開の中で、幸福な自然の状態は死滅した。ルソーは、この市民社会批判の後で、新たなる人間の理論と政治社会の理論を打ち立てようとした。彼は、人間が素朴な自然状態に戻り得ないことを十分に知っていて、唯一の可能性は、人間の可塑性に賭け、失われた自然を人為の世界で回復する以外にないと信じた。『エミール』は、市民として成長するために、必要な知的教育と、良心を拠りどころとする道徳教育をほどこされ、最後に外の世界をよりよく理解するために旅に出る。「彼は自分と戦い、自分にうち勝ち、自分の利益を共同の利益のために犠牲にすることを学ぶ」これは、まさにポリスの人倫的共同体における人間に他なりません。

ルソーの影響を強く受けたカントは、その先験的観念論により、ルソーとは全く違う道から人倫の再興を企てました。カントが、現象と物自体を区別したことはよく知られていますが、彼は認識の世界を感覚で知りうる現象世界に限定しながら、実践理性の世界では、むしろ先験的な物自体の世界を道徳の存立根拠としたのです。自然の因果律の世界から完全に自由な意志の自律を前提としつつ、まさにその道徳に普遍妥当性をもたせました。義務はまさしく義務のために存在するので、そこに向かう自律的意志こそ人間の尊厳の証しとなるのです。これは、おそらく、太陽系が死滅を迎えるほどの時間が経過してもなお人類には至難の課題でしょう。それは、いかにしたら我々は幸福になれるかという教えではなく、いかにしたら我々は幸福に値する人間になれるか、の教えだからです。

カントのこのような考えの背景には、少年の時に死に別れた母親の持っていたキリスト教敬虔主義の強い影響が見られるようです。むろん、伝統的な道徳規範が根強く残っていた北方ドイツの精神風土も考慮に入れなければいけません。彼は、海の向こうの国で、市民社会が進展し、道徳規範が解体して、功利の体系が行動の基準になっていくことへの大いなる危惧があったのでしょう。欲望の解放と価値相対化の進展を認めながら、なお道徳の規範性に固執するカントの思想には、市民社会の分裂の構図がそのまま現れているのかもしれません。

初期ヘーゲルはカント的な道徳主義の立場から出発しましたが、その根本の心根においてはかなり違っていました。カントは、理性と感性を峻別し、「理性の事実」としての道徳律より出発しながら、厳格主義を貫きつつ、実践理性の要請としてのみ神の存在を認めました。すなわち、彼は、最初から、快楽や幸福という実質的内容を意志の規定根拠から排除していった結果、「正しくあることは同時に幸福であることである」ことを証明できず、徳による生活=最高善の生活を正当化するものとして、霊魂の不滅や神の存在を持って来ざるを得なかったのです。遥か遠い未来の到達すべき地点から人間社会を見下ろしたために、徳の要請は、人間の自由意志を認めながらも、人間の自然的欲望を抑圧し対立し拘束するものとして現れる危険性を常に持っています。カントの道徳律の世界が実現されたならば、それは一瞬にして地獄と化すだろうと揶揄したベンサムの言葉を思い出しましょう。

さて、ヘーゲルが、テュービンゲン大学の神学部時代から書きためていた原稿は、死後『ヘーゲルの初期神学論集』という表題で刊行されていますが、藤原によれば、その内容の中心は、神学そのものであるよりも、宗教を媒介とした道徳的理想の追求であり、カント的な道徳律の世界に理想を見出していたヘーゲルが、やがてそれが含む現実的矛盾を感じ、次第に自己克服をとげつつ、独自の立場を築き上げていった過程がそこには読み取れるということです。

理性によって判断され、理解されるカントの道徳律に対して、ヘーゲルの道徳は、人びとの感性に浸透し、それを動かし、行動の動機となるものでした。『初期神学論集』の冒頭の、「民族宗教とキリスト教」で、ヘーゲルは、客観的宗教 objective Religion と主観的宗教 subjective Religion の区別について書いています。客観的宗教とは、我々の義務や願望と神や霊魂不滅という理念という関係における全体系、つまり客観的な教義体系に示される宗教であり、そこに作用する力は悟性と記憶です。それに対して、主観的宗教は、ただ気持や行為において表われ出るものであり、存在の内奥における活動を示しています。それゆえに、ある人に宗教があるといった時、意味するものは、宗教について広範な知識を持っているということではなく、自分の魂の中に神の業、奇蹟、近在を感じている、ということなのです。若きヘーゲルが、後者の優位を認めていることは明らかでしょう。

ヘーゲルが、人びとの感性に基礎を持ち、生ける魂をもって自然に浸透していく主観的宗教を評価するとき、そこには近代啓蒙への批判と人間の善性への信頼があるのです。 啓蒙とは、カントによれば「悟性を使う勇気を持つこと」でした。しかし、ヘーゲルによれば、悟性の啓蒙は、人びとを利口にしても善良にはしない、むしろその自己保存の追求で、道義心を高揚するよりも、低下させる、と断じました。客観的宗教が悟性によって解明された教義体系として国家の庇護のもとにあるとき、それは権力と結びつき、人びとの自由を抑圧するものになるが、対して、主観的宗教は、人間がもつ自然な善性の発露により、正しい社会結合の絆として機能していくというのです。ここにはルソーの強い影響が見られるでしょう。

ここに、ヘーゲルが挙げているもうひとつの対概念、民族宗教と私的宗教について説明しましょう。私的宗教が、個人に働きかけ、個人の魂に安息を与える機能があるのに対し、民族宗教は、魂一般に力と感激ー偉大で崇高な徳行に不可欠な精神ーを吹き込むというのです。そして、民族宗教が、個人と共同体との結合の絆になるのに反して、私的宗教は逆に個人と共同体の結合を破壊し、分裂の要因となると言います。民族宗教が古代ギリシアの宗教を表して、私的宗教が帝政ローマ以降のキリスト教を表しているのは明白でしょう。前者は、人間の善性を信じ、善性に訴え、それに期待するのに対して、後者は人間に対する絶望と神による救済を唱えます。ソクラテスとキリストのそれぞれの弟子たちに対する関係を見てみましょう。キリストが十二人の弟子を選び、固定化し、それに上下の関係をつけたのに対して、ソクラテスはいかなる弟子も、およそいかなる命令も下さず、万人と交わり、公正の模範たる師であったにすぎません。

この時期のヘーゲルは、(ルカーチによれば)カントと同じく、社会問題を正に道徳的問題とみ、かかる意識の変革による社会の変革を意図してしていたが、カントと違って、最初から集合的、社会的、歴史的に見ていたということです。自分を民衆の道徳的啓蒙家、民衆の教育者として自覚し、それを使命としていったことは、カントより遥かにルソーに近いでしょう。しかし、1794年に、ヘーゲルは改めてカントに取りくみ、『実践理性批判』そして特に『単なる理性の限界内に於ける宗教』を研究して、それは1795年の『イエスの生涯』に結実します。

『イエスの生涯』で描き出されるイエスは、信仰の対象としてのそれであるよりも、カント的な純粋道徳の実践者、改革者です。みずからの律法の正しさとその独占を主張し、それゆえ利己的となったパリサイ人に対して発したイエスの言葉(ヨハネ 8ー21〜31)をヘーゲルは次のように要約します。「わたしは、ただ、わたしの心と良心の純粋な声だけを頼りにしている。この内なる法則こそ自由の法則であり、自分自身によって与えられたこの法則に、人間は自由意志にしたがって服従するのである。‥‥ところが、それに反してあなたがたは奴隷である、何故ならばあなたがたは、外からあなたがたに課せられた法律の軛のもとにいるからである。」ユダヤ教の律法主義は、外より課せられた他律的な立法に人びとを従属させ、その自由と尊厳を奪うのです。しかも、この律法がユダヤ人にのみ啓示されたとする選民意識は、彼らを排他的にし、利己的にしています。これに対して、イエスは、まさに純粋な良心から発する内なる道徳法則の実践者として現れるのです。

「それゆえ、ここではキリスト教における信仰的要素、すなわち、人間の堕罪、イエスの贖罪、復活、あるいは奇蹟というような諸要素は、その本来の意味においてはまったく語られていない。むしろ、神がみずからに似せて作ったすべての人間に与えたもう良心=善性に対する信頼より出発し、かかる良心の覚醒こそイエスの役割であったとするのである。」しかし、このイエスの改革運動、人間の善性を信じ、内なる良心を覚醒し、「善への愛」のみが支配する道徳的完成者の結合をめざす運動は成功しませんでした。その顛末と理由は、その年の秋から翌年にかけて書かれた『キリスト教の実定性』に精密に書かれています。

この『キリスト教の実定性』においても、まずユダヤ民族の悲惨な状況から筆を起こします。その立法を最高知そのものから引き出しながら、今やその精神は、日常生活のあらゆる瑣末な行為にまでも一律に規則を定め、国民全体に僧侶階級の威信を示すところの、杓子定規的な掟の重荷に押しつぶされています。この律法の奴隷ともいうべき服従の状態から、精神の自由を求める運動が起こってくることは当然でしょう。イエスは、少年時から自分自身の教養に専念し、名誉心や他の悪徳にも染まらず、その時代の伝染病から自由であり、その情熱のすべてを、その民族の聖なる書物にうちに横たわっている道徳原理を彼らに思い起こさせるために費やしたのです。彼はそのことにより、宗教と徳行を道徳性にまで高め、その本質をなす自由を再興しようとしました。ここに描かれるイエスは、ヘーゲルにとって、ソクラテス同様、道徳の教師そのものです。

ところが、彼の運動は最初から挫折しました。というのも、イエスは彼の運動をもっぱら人間の理性と良心の声に訴えかければそれで十分であると考えていたのですが、当時のユダヤの人びとの精神状況は、このような理性の声に傾ける耳をまったく持っていませんでした。それで、イエスは、仕方なく、神の言葉を借り、神の権威に頼り、神の意志として語らずを得ず、みずからが神の意志の体現者であることを示すために、奇蹟信仰が用いられ、それによって自分の教説を権威づけていったというのです。またイエスの弟子たちも当時の偏見や狭量さから自由でなく、イエスの教えを忠実に理解し伝えていくという態度に欠けていました。イエス自身も、復活後には、徳の行為そのものでなく、信仰と洗礼という実定的な二つのものが至福に預かる条件で、無信仰者には永遠の罪が帰せられると説くようになります。

イエスの「道徳」は、何と変節して行ってしまったことでしょう。ヘーゲルは、そのことを社会的に次のように説明します。イエスの小宗派は拡大し、友好的な小集団においてのみ可能な自由と平等は消え失せ、上下の権威的な関係が生じてきた。またそのような小集団においてのみ可能な最初の財産の共有性も消滅し、平等は現生の平等から神の前に於ける平等に転換していった。聖餐式をはじめとする儀式が信仰のための掟としての意味を持つようになり、とりわけ教会という組織の成立が、役員や聖職者を作り、人びとに服従を要求するようになった。そして、かかる教会が国家権力と結びついたとき、理性の自由と道徳への服従は完全に圧殺され、キリスト教はユダヤ教と同じ実定的な宗教と堕した。のみならず、ユダヤ教においては単に行為のみが命ぜられていたのに対して、キリスト教においてはさらに感情をも命ずるという補足物が付け加えられたというのです。

ここにおいてヘーゲルは、再び、古代ギリシアとローマの共和制を賛美し、そこでは個人が自由な人間として、公的な場において自己を実現していったが、そこにはギリシアやローマの宗教が密接に関わっていた、と書いています。しかし、そこにキリスト教が浸透し、ローマの国教となって、すべては変化しました。誰もが自分自身の中に閉じこもり、国家は少数の人びとによって運営され、市民の政治的自由は失われていきました。疎外された人びとの精神は彼岸の世界に普遍を求め幸福を待望します。ここに至って、ヘーゲルの意図が露わになるのです。歴史における精神の遍歴が、当時のドイツの状況に重ね合わされていくのです。ヘーゲルが説く道徳は、決して、理性によって引き出された抽象的な理想ではなく、現実の古代の共和制のなかに具体化されていたのです。「徳の再興を企てたイエスの試みが挫折し、次第に実定化し、律法化していく過程を見ながら、そこに現実から乖離した抽象的な理想の現実化において陥らざるをえない、ひとつの歴史の悪循環をあるのだ」と藤原保信は結んでいます。

(初期ヘーゲルの続き、その白眉たる『キリスト教の精神とその運命』および『ドイツ憲法論』はまた後日の機会に。次は『アンチモダン』の続き、さらに昨年からの懸案であるラヴェッソンの『19世紀フランス哲学』そしてその間に鏡花など日本文学も書きたいと思います。生きている間に『精神現象学』までたどり着けるでしょうか。マルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないか』も購入したまま、まだ1ページも読んでいないのですが。)

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