2017年9月23日 (土)

ゲザ・ローハイム『龍の中の燃える火』

    7月初めに熱中症から脳神経を冒されて、二ヶ月ほど仕事を休んで自宅療養していました。回復は難しいと思われたが、8月半ばに通院以外の外出が出来るようになって、9月から少しずつですが、仕事に復帰しています。『アンチモダン』が途中ですが、思想史ものは時間がかかるので、もっと気楽に書けるゲザ・ローハイムの『龍の中の燃える火』(新曜社2005・鈴木晶、佐藤知津子訳)を取りあげてみます。

    ローハイムは私好みの忘れられた思想家で、フロイトとサンドール・フェレンツィの弟子筋にあたり、精神分析人類学というものを提唱した人物です。私は、もともと、ユングやラカンのようなフロイトから肝心の性的一元論を捨象した哲学的精神分析学者を好きになれず、ローハイムのように個人の性的な夢や体験に固執する一徹さを持つ人間を好んで来ました。『龍の中の燃える火』はアメリカの民俗学者のアラン・ダンデスが、ローハイムの論文の中から主に民俗学を中心とした17編を選んで編んだもので、読みやすいとは言えないが、狂おしいほどの資料の引用と博捜は、これまた私の偏愛するところでもあります。

   まず、その中の一編、「聖アガタと火曜日の女」から紹介しましょう。これはピレネー山脈に伝わる民話です。

      聖アガタの日の前夜、一人の女が遅くまで糸紡ぎをしていた。九時になると、戸をたたく音がして、見知らぬ女が入ってきた。女は「わたしも糸を紡ぎたい」と言って羊毛をもらうと、仕事にとりかかった。女はその家の女主人の四倍もの、すさまじい速さで糸を紡いだので、女主人は恐ろしくなって、隣家に駆け込んだ。話を聞いた隣人は、彼女に、「墓地が火事だ」と叫びながら家に入るように助言した。その言葉を聞くなり、見知らぬ女は「家に帰らなくちゃ」と叫んで飛び出していった。ところが、女はまた戻ってくると女主人に、「もう少しでおまえは死ぬところだった」と告げた。「わたしが紡いでいたのは、おまえの経帷子(きょうかたびら)だったのさ」

    この民話の類型は、ハンガリー、ルーマニア、ロシア、ギリシア他、ヨーロッパの至る所にあり、その根幹は、仕事をしてはいけない日に仕事をすることへの罰則です。聖アガタは、シチリアの王に嫁ぐことを拒否して乳房を切り取られた殉教聖女で、墓に入ってから、自らの聖日に働く人間への復讐に駆られて墓場を飛び出してくると言われています。ピレネーの民話は聖日の前日ですが、特に前夜は準備日として重要とされていました。多くの地方では聖アガタの日ではなく、単に火曜日に糸を紡いだり洗濯や針仕事をすることを禁じています。これには夥しい例があり、さらに木曜、金曜、土曜などの日に労働を禁じられている地方もあります。なぜ火曜日(あるいは木曜、、、)なのかの理由はわかっていません。

   ローハイムはピレネーの民話を次のように解釈します。まず、神話や民話は、もとは誰かの見た夢であったに違いない、と自らの前提を確認した後で、夢は常に超自我の叱責に対する防衛である、と書いています。超自我とは、かくあるべし、という道徳的倫理的要求で、幼児には母親の叱責や要求が超自我そのものになるのです。してはいけない時に仕事をすることは、超自我としての母親像に対する 直接的反抗です。しかし、超自我の現れは複雑で、糸を紡ぐという行為は超自我の要求する禁欲的労働なのですが、休まねばならない時に仕事をすることは故意になされた未完の仕事、つまり日中にやるべきだった仕事の残滓として表されます。見知らぬ女がめざましい働きで主人公の女を助けるのは、「もっと糸を紡げ」という命令とともに主人公の超自我への象徴的追蹤であり、本人にとっては超自我を抱き込む行為とみなされているのです。一方、決定的な助言を与えてくれる隣家の女性は超自我に対する母親像の保護的な側面の現れとも言えましょう。火事は、たいてい尿意の代替として、夢に終了を告げるために呼び出されます。こうして、ローハイムは一つの結論にたどり着きます。超自我は内面に取り込まれた社会の要求、あるいは禁止として解釈されるが、それに対する反抗、つまり対象(母親)に向けられた攻撃は次には自我に矛先を転じて一種複雑な様相をとる、これが一見意味不明な夢の内実を表しているのだ、と。

    次に紹介するものは「龍の中の燃える火」の章で分析される神話です。ローハイムがポリネシアで取材したこの神話は、実はニュージーランドやハワイに至る南太平洋のほとんど全てで知られている文化英雄(火や作物の栽培法など有益な知識を人々にもたらした英雄)であるマウイに関するもので、ディズニーの映画『モアナと伝説の海』でもモアナを助ける半神の大男として大活躍します。

   「ポリネシアの英雄神話は、マウイの偉業を中心に展開する」とローハイムは書いています。彼はあちこち旅をしたのですが、その主要なものは火を求めての旅と、永遠の命を得るための旅です。マウイは、父親タランガの後をつけて冥界に入り、火の神マフィエから火を奪い取ろうとします。マフィエはマウイに襲いかかってきたが、マウイはその腕をもぎ取り、残った腕をひねり上げました。ついにマフィエは、腕を自由にしてもらうかわりに、マウイに木片同士をこすり合わせて火を起こすやり方を教えます。マウイ誕生の歌は、木片同士をこすり合わせることが、性交の物語であることをはっきりと示しています。「その歌のどの言葉にも深遠な象徴的意味がこめられている」とローハイムは書いています。

     おとめたちの情熱の歌
  最初の声:
     困難な入口、秘められた門
  第二の声:
     襲われ、嵐のように乱れる。 
  コーラス:
     侵入者は欲望の核(中心)に突き進む。
     ここにおとめが一人。その下には避けた入口。
     おそらくそれは「長い刀身のトゥ」だったのだろう
     彼女を地面の上にうつぶせに投げ出したのはー。
     指の爪で広げられた網が開いている。
     網の中には取ってが一つ。
     網はきつく引き寄せられる。きつく引き絞られる。
     ああ、めくるめく歓びを呼び覚ます小さきものよ。
     ああ、ぬめぬめした傷口を探る性の狩人よ。
     情熱の泉がほとばしる。
     刀身がさかんに抜き差しし、
     やがて、内なる門に激しく突き立てる。
      突然 奔流が溢れ出る。
      恋人たちは激しくからみあい、一つとなる。
      その抱き合う音が聞こえるほどに激しくー。

   さらに、マウイの有名な仕事は、日の長さを調整したことです。太陽が日々のコースをあまりにも急いで回るため、マウイの母親はちゃんと料理をする暇がありませんでした。マウイは母親の髪の毛を切り取って編み、丈夫な縄を作って太陽を捕まえて、その運行を遅らせました。実は、マウイは他の男根英雄と同じく太陽なのです。太陽が地平線に姿を消す時、マウイの生涯も終わるのです。マウイの母親の髪の房は、実は恥毛であり、それにからめとられるのはマウイ自身なのです。「彼は日の入りの道を通ってラロトンガから去り、また日の出の道を通って帰って来た」と神話は語っています。

   上記のローハイムの記述は、彼が影響を受けたサンドール・フェレンツィの子宮回帰説に多くを負っています。ポール・A・ロビンソンの『フロイト左派』(1972せりか書房・平田武靖訳)によれば、フェレンツィはその主著『タラッサ』(性欲説試論)で、性交とは生誕過程を逆行する試みであり、性行為で男性は自己をペニスと同一化し、そのペニスを文字通り子宮に帰還させる、なぜなら、それが母親との再会をはたしうる唯一の手段だからであると書いています。「けだし文明の逆説とは、人間が幼児性を残さんがため文明に立ちむかう行為にほかならない。、、、文明をめざす人間の努力のいっさいは、その真実の相を探ると子宮に復帰する目的を隠した巧妙な偽装にほかならない」とロビンソンは書いています。

   マウイの神話には続きがあります。マウイは母親の白髪に気づいて尋ねました、「どうすれば、人は永遠に生きつづけられるの?」母親が答えます。「ロリ・マタポポコ(深くくぼんだ目のウミウシ)の胃を手に入れることができたら、おまえは絶対に死なずにすむんだよ」。
   マウイがロリ・マタポポコの胃を手に入れ、それを殆ど食べ尽くしたところに、彼より年長の人間が大きな叫び声を上げたので、彼はまた吐き出してしまいました。永遠の命を望む試みは失敗し、彼は死ぬ運命にあるのですが、死ぬことによって一族に永遠に続く生をもたらすのです。妻が身ごもると、マウイは娘たちに「永遠に」生きられるようにと願いをこめて、長女にはロリ=イ=タウ(濡れた男根)、次女にはテ・ヴァリネ・フイ=ロリ(男根をつかむ女)と名付けました。マウイの生涯とその運命は、いわゆる文化英雄というものが、人々の不安状況(この場合は死すべき運命)とそれを乗り越える手段を象徴的に示しているとローハイムは書いています。

   
    さすがにちょっと疲れてきたので、最後に最も有名な民話「ホレおばさん」について簡単にその大筋だけ紹介しましょう。この話はペローにもグリムにも出てきます。

     ある未亡人に二人の娘がいました。一人は美しくて働き者、もう一人は醜くて怠け者でした。母親は働き者の娘を嫌い、怠け者の娘をかわいがっていました。働き者の娘は来る日も来る日も指先から血が出るまで井戸端で糸を紡がされました。糸巻きが血だらけになったので、娘が井戸で洗おうとすると、糸巻きは井戸の中に落ちてしまいました。未亡人は彼女に井戸に飛び込んで拾ってこいと言いつけました。娘は言われた通り飛び込みましたが気を失って倒れてしまいました。目を覚ますと、そこは美しい草原で、花々と陽の光で輝いていました。ふと気がつくと、パンが詰まったパン焼きがまがあって、「ここから出しておくれよ。でないと焦げちゃうよ」と叫んでいます。そこで娘はパンを一つ残らず引っ張り出してやりました。次に一本の木が言いました。「どうか、ゆすぶっておくれ。リンゴの実はどれもみんな熟しているんだよ」。娘は言われたとおりにしてやりました。しまいに娘は一軒の小さな家にたどり着きました。そこにはホレおばさんという小柄なおばさんがいて、「あんたがちゃんと働いて言いつけを守るなら、何もかもうまくいくよ。とくに毎朝寝床を整えて羽根布団をよくふるってくれればね。そうすると羽根が飛びちって大地に雪が降るんだよ」。
   娘はしばらくホレおばさんに仕えていましたが、だんだんさびしくなってきて、家に帰りたくなりました。ホレおばさんは娘を上の世界に連れて帰ってくれました。二人が大きな門の前に着き、娘が門の下に立つと、金貨の雨が全身に降り注ぎました。「これはご褒美だよ。あんたはとてもよく働いてくれたからね」とホレおばさんは言って、娘に糸巻きを返してくれました。娘がお礼を言おうと口を開くとバラと真珠が口から溢れ出てきました。意地悪な母親はそれを見て、怠け者の娘にもっとたくさんの金貨をもらってくるように言って井戸の中に降ろしました。しかし、怠け者の娘はパン焼きがまとリンゴの木の頼みをはねつけ、ホレおばさんの言いつけも聞きません。そして、門から出た途端に煤を浴びせられ、口を開くとヘビとヒキガエルが飛び出してきました。

   ローハイムは、この 民話の分析のために次のようなヒントを与えています。糸巻きは明らかにペニスの象徴で、井戸に落ちて気を失うことは眠りに落ちることを、パンのいっぱい詰まったパンがまとリンゴの木は多産の母親を、二人の娘がくぐる夢の門はそれぞれ膣からの出産と直腸からの排出を意味する、と。

    『夢の門』とは、ローハイムの死後に出版された最後の本の書名であり、彼の主著ですが、その序文の冒頭に彼はこんなことを書いています。
   「先日、私は古くからの友人の家に招かれた。彼は若い同僚と話し込んでいて、真剣に質問していた。「精神分析学的人類学なんてものが本当にあるのかね?」若い同僚はニヤニヤ笑うと、私の方を見た。私は心の中でつぶやいたーこれまでの人生は無駄だったのだろうか、と。べつに本心からそう思ったわけではなかったが。」
   編者のアラン・ダンデスの記述によると、ゲザ・ローハイム(1891〜1953)は、ハンガリーのブタペストの裕福な商人の家に生まれました。ブタペスト中に名の知られた名家で、彼はその一粒種として、両親に溺愛された過保護な少年として育ちました。大好きな祖父の影響で 幼い頃から民俗学に強い関心を持ち 、それに気づいた両親は、彼が10歳のとき、ブタペストの老舗の書店から書籍を付けで自由に購入する許可を与えました。ローハイムを知る古参の店員は、彼が読みそうな神話や民俗学誌学の本をあれこれ苦労して探し出してくれました。「民族学者の個人的な収集としては最大級のもの」と賞賛された彼の膨大な蔵書収集はこのようにして始まったのです。

     ハンガリー民族学会で初の講演をしたのは彼が17歳の時でした。彼は、とくに、タイラーの『原始文化』、フレーザーの『金枝篇』、フロイトの『トーテムとタブー』に影響を受けました。とりわけ、フロイトは彼に神秘の扉を開く鍵を与えてくれました。精神分析を人類学に適用する試みはローハイムの他にもあったのですが、それらは人類学者の収集したデータを 頼みにするだけでした。しかも、精神分析を非西洋文化に適用することへの批判はその頃から強かったのです。ローハイムは、彼が身を捧げることを決意した精神分析学が普遍的に適用できるものであることを証明するために自らフィールドワークに出かけることを決意します。これには、個体心理を集団に適用することを決して 認めないデュルケーム学派や、文化所産はそれを産み出す特定文化の全体の文脈の中でしか理解できないとするマリノフスキーの徹底した文化相対主義に対する反発もあったのです。このフィールドワークは、波乱のほとんどないローハイムの生涯の特筆すべき出来事となりました。彼は、ギリシャ大公妃でフロイトの弟子の一人マリー=ボナパルトの後援を得て、アフリカ、アメリカ、オーストラリアへの三年に及ぶ調査旅行に出発します。記録や写真撮影などを務めたのは最愛の妻イロンカで、二人は二ヶ月で現地の言葉に習熟し、その後も夫婦で人に聞かれたくない話をするときは、アランダ語やピッチェンタラ語を使っていたということです。

     人類学に精神分析学的アプローチを適用することで生じるあらゆる不利益や困難に立ち向かった彼は、その膨大で偉大な仕事に見合う十分な賞賛を受けることはありませんでした。精神分析学からも人類学からもどちらからも孤立に追い込まれ、死んだ時には学会専門誌に訃報すら載りませんでした。ポール・A・ロビンソンの本からローハイムの『文化の起源と機能』を引用しましょう。
   「社会生活においては、悪しき父のイメージは集団外部のいっさいに投影される。民族的憎悪は、妨害者たる父に対する子どもの憎悪の成人期に入ってからの代用品にすぎない。戦争と国際関係は、なによりもまずエディプス情況に基礎を置いている。父は幼児の生活における最初の異邦人であり、異邦人はいつの場合も父である。こうして戦争は社会もそうであったように人間の永遠なる幼児性の所産とされる。愛する時もそうであったように、人間がたたかうのは、分離の避けがたい重荷に耐えきれないからである。」
   (北朝鮮の指導者は代々の男根英雄であり、ミサイルへの執着心はそれがペニスの象徴であるからに他なりません。)

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